「明日世界が終わるとしたら、何がしたい?」
いつもと変わらぬ口調で彼女は言った。
まるで休日の予定を聞くように。ただの例え話だと言うように。
「どうしたの、急に?」
「何となく。明日が最後ならどんなことをするのか興味があったから」
ふふ、と笑う。その笑顔もいつもと変わらないように見えた。
「そうだなぁ……」
だから、自分も深く考えることなく。
明日のその先が、当たり前に来るのだと疑いもせずに、彼女と過ごす、最後の明日を考えたのだ。
「それで、なんて答えたの?それから世界はどうなったの?おじいちゃんは今も元気だから、世界は終わらなかったんだよね?」
身を乗り出して問いかける孫娘に、男は目を細めて微笑む。
刻まれた皺が、男が過ごしてきた時間の長さを物語る。いつ会いに来ても元気な祖父の笑みに、孫娘は益々話の結末が気になって仕方がなかった。
――後悔のないように生きなさい。明日世界が終わってしまっても悔いがないように。
祖父は会う度に、そう口にする。その理由が気になり尋ねると、祖父は懐かしそうにどこか遠くを見ながら、昔明日世界が終わったとしたらと友人に聞かれたのだと答えた。
いつも穏やかな祖父が、その質問に何と答えたのか。そして世界が終わりを迎えたのか。
孫娘は祖父の話を一言も聞き漏らすまいと、視線を合わせて話の続きを待った。
「どんなに考えてもじいちゃんには世界が終わる想像ができなくてね。そもそも世界を具体的に想像できなかったから、何も特別なことはしないと答えたよ。いつものようにご飯を食べて、学校に行って、放課後に図書室で好きな本を読んでから帰る……いつもと同じ過ごし方を答えた」
そして明日が来て、祖父は友人と共にいつもと同じような一日を過ごしたのだと語る。その声音は祖父の人柄を表すように穏やかで、けれど孫娘はその中にどこか悲しみを感じ取り少しだけ表情を曇らせる。
「おじいちゃん……」
「じいちゃんには、明日のその先も終わることなく続いていた。彼女も終わりはなかったけど……世界は終わってしまった」
息を呑んだ。無意識に孫娘の視線は窓の外へと向けられるが、青空が広がる外はいつもと変わった様子はない。
「世界が……終わっちゃったの?」
「そうだよ。真っ暗で、何もかもが壊れてね。それでいて、あちこちで炎が上がって……じいちゃんと彼女が朝を迎えられたのは、奇跡みたいなものだった」
そこで孫娘は思い出した。祖父が住んでいるこの辺りでは、昔とても大きな地震が起こったのだということを。
建物は崩れ、あちらこちらで火災が起きたのだという。その光景はまさに世界の終わりと言っても過言ではないのだろう。
「明日世界が終わったとしたらなんて、ただの偶然だったのかもしれない。けれど彼女の言葉通りに世界が終わってしまったって、街を見て呆然としたよ……じいちゃんにとって、日常こそが世界だったんだろうな」
帰る家があり、迎えてくれる家族がいて、そして毎日変わらない生活ができる。
子供にとっては、それが世界のすべてだったのだろう。想像して、孫娘は確かにと納得した。
同時にそれが崩れてしまった時のことを考えて、その恐ろしさに身震いする。どんな悪夢よりも恐ろしい光景を前に、平気でいられることなど孫娘にはできそうになかった。
「おじいちゃんは、世界が終わっても頑張れたんだね」
自分には絶対に無理。そう呟く孫娘の頭を優しく撫でながら、祖父は目じりの皺を濃くして微笑みかける。
「じいちゃんも、きっと一人だったなら頑張れなかった。周りに大切な人たちがいたから、前に進めたんだよ」
「それって、彼女って人のこと?」
首を傾げ孫娘は問うが、祖父は微笑むだけで答えをくれる様子はなかった。
どんな人なのか。けれどある程度の予想ができて、孫娘は思わずふふ、と笑い声を上げた。
「それってさ。もしかして――」
その時、部屋の戸が開いて祖母が入ってきた。
手にはお茶とお菓子が乗った盆を持ち、祖父のような穏やかな微笑みを浮かべ二人に声をかけた。
「おしゃべりもいいけれど、そろそろおやつにしませんか?」
「そうだね。続きはまた後で」
「分かった!でも後で答え合わせをさせてね」
孫娘はそう言うと祖母の手から盆を取り、テーブルに置いた。礼を言ってお茶の準備をし始める祖母は、ふと手を留めて二人を見て少しだけ首を傾げる。
「何の話をしていたの?答え合わせってなんのことかしら?」
「あぁ、それはね」
「明日世界が終わったって言ってくれた彼女が誰なのかの答え合わせだよ。私の予想ではおばあちゃんだと思うんだけどな」
笑いながら孫娘は祖母を見る。驚いたように目を瞬いて、祖母は祖父を見ながら懐かしそうにくすくすと笑いだした。
「そんな昔の話をしていたの?」
「どうしていつも後悔のない毎日を過ごせと言うのか聞かれたからね」
視線を逸らしながら言う祖父を、孫娘は面白そうに見つめた。
祖父は祖母のことをいつも大切に思い、愛している。素朴でありながら幸せな日々を過ごしている二人を見るのが、密かに孫娘にとっての楽しみだった。両親と負けないくらいの仲睦まじさは、見ているだけでも嬉しくなる。
「そうなの?なら、私もとっておきの話を教えてあげようかしら」
「え?どんな話?」
「おい。まさか」
祖母の言葉に孫娘は興味を引かれ、祖父はどこか焦ったような顔をする。正反対の反応を見せた二人を見て笑いながら、祖母はあのね、と内緒話をするように声を潜めて語り始めた。
「おじいさんのプロポーズの言葉なんだけどね。『世界は終わってしまったけれど、君のおかげでいつまでも立ち止まらずに前に進むことができた。だからどうか、僕の新しい世界になってください。幸せにすると誓うから、いつまでも僕を導いていてほしい』だったのよ」
「へぇ……僕の世界に、ねぇ……」
赤くなった祖父を、孫娘はにやにやとした含みのある笑みを浮かべて見つめた。うぅ、と呻き声を上げる祖父の反応を楽しみながら、チョコレート菓子に手を伸ばす。
口にいれたチョコレートはいつもより甘く感じられ、胸焼けがしそうだと孫娘は言葉には出さずそうぼやいた。
「誓ってくれたから、私はいつも幸せよ。あんたも、そういういい人を見つけなさいね」
「いい人、か。いるかなぁ。おじいちゃんやお父さんみたいな、一途で素敵な人」
孫娘の父も、祖父に負けず劣らず母を愛している。そんな姿を見て育ってきたからか、孫娘は未だに好きな人ができたためしがない。
溜息を吐く孫娘を見つめ、祖母はふと何かに気づいたように目を瞬いた。笑みを濃くし、二つ並んで包装紙の中に収まるキャンディーを手に取ると、孫娘へと手渡す。
「心配しなくても、もうすぐ素敵な人に出会えるわよ。だからそんなに落ち込むことはないわ」
「――それって、予言?」
「さぁ、どうかしらね?」
答えをはぐらかされ、釈然としないながらも孫娘はキャンディーを受け取った。袋の中で、赤と青の四角いキャンディーが光を反射する。
宝石のように煌めくキャンディーを見ながら、孫娘はふっと笑みを浮かべた。
祖母の言葉はよく当たる。何度も目にしてきたそれを、今更疑う余地はない。
「なら、その人に会った時、後悔する結果にならないように頑張らないと」
「そうね。後悔しないように」
「明日、突然世界が終わってしまうかもしれないんだ。迷ってもいいが自信がないからと、いつまでも動かないことがないようにな」
祖母と祖父の言葉に頷いて、孫娘はお茶を飲み干すとキャンディーを手に立ち上がった。
「ちょっと出かけてくる!」
「はい、いってらっしゃい」
「気を付けるんだぞ」
祖父母に見送られながら、孫娘は勢いよく部屋を飛び出した。
一度自室に戻り、鞄を手に家を出る。お守りのようにキャンディーを鞄の中に入れると、気の向くままに駆け出した。
「明日世界が終わるなら……」
祖父の言葉を思い出す。
孫娘にとっての世界は何であるかは分からない。けれどそれが突然に終わってしまったとしても祖父のように新しい世界が始まることもある。
孫娘は笑みを浮かべて、祖母から貰ったキャンディーを鞄越しにそっと撫でた。
20260506 『明日世界が終わるなら……』
5/7/2026, 11:34:06 PM