今日の夕飯はカレーライスにしよう。
そう決めてスーパーへ向かったのは30分前。
私は今激しく後悔している。
そもそも遠くのスーパーにわざわざやって来たのが間違いだったのだ。いくら息子の好きなじゃがいもが大安売りだったからといっても、この状況はあまりに酷である。
ウチで雇っている家庭教師の高遠先生。彼が目の前で買い物をしている。むこうはこちらに気づいていないが、時間の問題だと思われる。
否、問題なのは時間ではない。彼の連れだ。白いワンピースを着た若い女性と、仲睦まじい様子で歩いているのだ。
息子がこの場にいなくてよかったと心底思う。先生と息子は、今微妙な関係なのだ。決して仲が悪いわけではない。その逆。付き合ってはいないんだが、師弟以上恋人未満というか……
とにかくそんな関係の相手が、他人とベッタリ一緒に過ごしているところに遭遇したら、息子にとっては地獄でしかないだろう。修羅場というやつだ。
私はこのまま見てみぬふりをするか、割って入って事情聴取するか、息子に密告するか、息子というものがありながら他の人間とベタベタした罪で処すべきか迷った。
答えが出ないうちに、先生と目が合った。ガン見していたせいかもしれない。
「おや、煌時くんのお父さん。こんにちは」
こやつ、なんの躊躇いもなく挨拶してきおった。
「先生、どうも」
「ここでお会いするのは初めてですね」
「いつもは近所のスーパーに行きますが、じゃがいもの大安売りと聞いてこっちへ」
「ああ、なるほど。煌時くん、じゃがいも好きですもんね」
何だこいつ、息子のこと知ってますアピールか。
「先生こそ珍しい。デート中ですかな」
言い訳できるもんならしてみるんだな!
「……ええ、まあ。というか、偶然会ったんですよ」
ガーーーン!!
言い訳どころか認めた!?
いいのか認めて!?
私に話したということは、息子にも伝わっていいということか!?
いったいどういうことだ。まさか2人はとっくに別れていた?
いやそもそも付き合ってはいないのだから別れるも何もないのだが。
息子の様子を見ている限り、そのような素振りは一切なかったのに……
私が内心動揺していると、先生がチラリと外に目を向けてから口を開いた。
「そういえば、岡野さん。ここへは車で?」
「え? ああ、はい」
「ちょうどよかった! 私と彼女を家まで送ってくれませんか。もちろんお礼はしますので」
ファッ!!!???
どんだけ図々しいのだこいつ!?
「い、いやそれは」
「いや〜助かります! 彼女と会って買う量が増えたので。そうと決まれば早速レジへ行きましょう!」
先生は私の話を遮り、腕を掴んで歩き出した。
そのあまりにもらしくない強引さに違和感を覚える。いつものキャラと違いすぎる。
私は先生に引っ張られるがまま会計を済ませ、駐車場に出た。その時、なんとなくだが違和感の正体に気づいた。
この2人、トラブルに巻き込まれている。
外にいた帽子の男と、店内にいた黒いTシャツの男が我々を挟むように近づいてきた。帽子の男は私と先生と女性が一緒に行動しているのに気がつくと、足を止めて躊躇う様子を見せた。
我々はそのまま早足で車へ向かい乗り込む。発進間際、横目で見た男たちは案の定合流してどこかへ消えていった。
「お2人とも、本当にありがとうございました!」
ワンピースの女性は深々と頭を下げると、無事に自宅へと入っていった。
「すみません岡野さん。巻き込んでしまって」
「いやいや、お役に立てて何より」
女性は帰宅途中、怪しい男たちに目をつけられ、後をつけられたらしい。怖くなってスーパーに駆け込んだはいいものの、男たちは諦めることなくしつこく彼女を追い回した。そこで目に入った同年代の先生に、こっそり恋人役をお願いしたんだとか。
「しかし怖いですな、知らない男2人に追いかけ回されるなんて」
「ええ、彼女は大変な思いをされたと思います」
先生はひと呼吸おいて続ける。
「煌時くんが同じ目に遭わなければ良いのですが……」
「……」
「あ、ほら、彼はとても可愛らしい顔立ちなので」
先生はそう言って、照れたのか視線をそらした。
私は彼を、少々見くびっていたようだ。困っている女性を助けられる知恵と行動力。それは賞賛に値する。
素直にそう伝えたら、自分なんてまだまだだと言われた。
「私はまだ未熟ですよ。完全とは程遠い」
それを言うなら私だってそうだ。先生よりずっと長く生きているというのに、勝手に修羅場だと思い込んで、彼女の危機を察することさえできなかった。
しかしそれでいいのではないかと私は思う。最後には協力して、彼女を助けることができた。
そう、大切なのは協働だ。
完全な人間など、存在しないのだから。
テーマ「不完全な僕」
9/1/2024, 8:42:27 PM