しゃんしゃん、とベルの音。
軽やかに、高らかに鳴るそれに、鬱々とした気持ちで溜息を吐く。
クリスマスイブ。
あと数日で訪れる聖夜を前に、赤と緑に彩られた街はどこか浮き足立っていて。燦めく光が人々の心を弾ませていた。
一部を除いては。
「一人ぼっちのクリスマスって、マジやばいよね」
「うるせぇよ」
きゃらきゃら笑う声。視線を向けずとも誰か分かる、よく知ったその声音。
煩わしさに顔を顰めた。
「予定が詰まってんだよ。クリスマス如きに浮かれていられっか」
「予定がないから、予定を入れられるんでしょ?可哀想」
「だからうるせぇって」
耐えきれずに振り返る。
にやにやとした嫌な笑みを浮かべる彼女に向けて、追い払うように手を振った。
「さっさとどっか行け。これ以上邪魔すんなよ」
「ひっどいなぁ。一人で可哀想だったから、会いに来てあげたのに」
文句を言いながらも、彼女はこの場を去る様子はない。
しゃんしゃん、と音が聞こえる。
街からはベルの音。それとは別に、彼女が笑う度にしゃんしゃん、音が鳴る。
「余計なお世話だっての。可哀想ってんなら、これ以上仕事を増やすな」
増える面倒事に、思わず舌打ちした。
彼女は変わらずきゃらきゃら笑い。しゃんしゃんと音を鳴らす。
ベルの音。彼女の鳴らす音。
そして、もう一つ。
背後から近づいてくる、しゃんしゃん、と鳴る音。
「遅かったじゃん。このまま来てくれないかと思った」
背後で鳴る音に向けて、彼女が声をかける。
それに答える声はない。
しゃんしゃん、と鳴る音がして。左腕に細く白い腕が絡みついた。
「わお。大胆」
しゃんしゃん。しゃんしゃん。
前と後ろで音が鳴る。
二つが重なり、響き合う。
「じゃあ、行こっか」
彼女が近づく。
しゃんしゃん。しゃんしゃん。
響く音が歪み出す。
しゃんしゃん。しゃんじゃん。
――じゃんじゃん。と。
「あぁ、もう。うるせぇな」
絡みつく腕を振り払い、距離を取る。
呆然と座り込む、背後にいた少女に駆け寄りこちらを睨む彼女に、溜息しか出てこない。
「女の子に乱暴するなんて、最低」
「最低なのはお前らだろうが。年の瀬は忙しいって分かってるだろうに」
終わりの見えない予定を思い出す。
家業の手伝いと、学業。
散々だった試験結果に、乾いた笑いすら出てこない。
「大体何で飛び込んだ?お前ら、俺よりも勉強できるだろうが」
「馬鹿じゃないの。鈍感。最低」
強く睨み付ける彼女の周りに、いくつもの炎が浮かぶ。勢いよく向かってくるそれを避けながら、彼女の言葉の意味を考えるが、心当たりはまったくない。
「あと、クラスであんたよりも成績が悪い奴なんていないから」
残酷な現実を突きつけられ、声にならない呻きが漏れる。
僅かに判断が遅れ、顔の真横を過ぎる炎が髪を焦がす不快な匂いに、眉が寄った。
「意味が分かんねぇよ。詳しく話せ」
「少しは考えるって事したら?それだからいつまでも馬鹿なのよ」
「馬鹿言うな。考えても分かんねぇんだから仕方ないだろうが」
悪態を吐けば、それがさらに彼女の機嫌を損ねてしまったようだ。
じゃんじゃん、と激しく音を立てながら数を増やした炎に、辺りを取り囲まれる。
面倒だ、と舌打ちし。炎を避けながら、ポケットに手を入れた。
「ほんと、察しの悪い奴」
「もう、いいよ」
少女の言葉に、炎が止まる。
じゃん、と音を立てて消える炎を横目に、少女を見る。
俯いて表情は見えない。先ほどの声も淡々としていて、何を思っているのか分からない。
だが、何となく。何となくではあるが、少女が泣いているように感じた。
「私が悪いの。逃げ出したかった。両親の事や、進路の事。自分の気持ちからも全部。なかった事にしたかったの」
「あんたは何も悪くないでしょうが。やりたい事を諦めさせて、望まない学校に進学させるのが正しいはずなんかない。自分で何一つ決められない人生って、ただの地獄じゃん」
少女を強く抱きしめて。吐き出す彼女の言葉は、重い。
自分には分からない感情だ。やりたい事がたまたま家業だった自分には、彼女達を理解する事は出来ない。
もしもすら想像できない自分には、慰めの言葉すら彼女達を傷つける刃になりかねない。
「変える事も、逃げ出す事も出来ないから。終わらせるしかなかったの」
「ねぇ。私達の事、可哀想って思う?同情とかしたりする?憐みひとつくれるなら、一緒に来てよ。反対も、否定も、比較もされないで、好きな事だけやってるあんたから、可哀想な私達にクリスマスプレゼントをちょうだいよ」
強い目をして手を伸ばす彼女に、一歩だけ近づく。
その手を取るつもりはない。憐みなど、真剣に生きて足掻いてきた彼女達には失礼でしかない事くらいは分かる。
「やだよ。今のお前らには、何もやらない」
彼女の睨む目を見据え、だから、と付け足す。
「さっさと戻ってこい。そしたら、お前らのために一日くらい時間を作ってやるよ」
「っ。それって」
「年の瀬はお前らみたいなのが多くて忙しいんだからな。それを時間作って、好きなもん何でも貢いでやるってんだ。一つどころか、これ以上ないくらいの好待遇だろ?」
首を傾げて笑ってみせる。
驚き見開かれた彼女の目と、弾かれたように顔を上げた少女の涙に濡れる目を見返した。
「そういう所が駄目なのよ。最低」
「何でだよ」
「あの。本当に、いいの?」
視線を逸らし悪態を吐く彼女とは対照的に、少女は怖ず怖ずと聞き返す。
反応はそれぞれ違うのに、そのどちらの頬も赤くなっているのが不思議で、可笑しかった。
「今、戻るならな。時間作るために徹夜しなきゃならないから、早くしてくれ」
「分かったわよ。急がせないで」
「ありが、とう」
おう、と軽く手を振り。
手を繋いだまま、霞み消えていく二人を見送って、深く息を吐いた。
クリスマスまでは地獄の日々を過ごす事になるだろう。
だが彼女達は、彼女達の地獄に戻ってくるというのだ。時間の限られた地獄など、極楽とそう変わりはない。
「まったく。しょうがないな」
しゃんしゃん、と鳴るベルの音を聞きながら、ポケットの中に手を突っ込む。
街は眠らない。明るい光が眩しいくらいだ。
しゃんしゃん。しゃんしゃん。
ベルの音。それに紛れて、誰かが残念だ、と呟いた。
しゃんしゃん。しゃんしゃん。
残念だ。残念だ。
「お小遣いは多めにしてもらおう」
煩いいくつもの声に、肩を竦めて振り返る。
ポケットから取り出した、水晶のブレスレットをくるくると弄びながら。
「そういうわけだから。さようなら」
恨めしげに見つめる亡者達に、ブレスレットを投げつけた。
20241221 『ベルの音』
12/22/2024, 2:47:02 AM