【時間よ止まれ】
ある日の山中、少年はいたずらに蛇を殺した。
何か理由があったわけではない。蛇に何かされたわけでもなかった。ただただ、少年の暇を潰すためだけに蛇は殺された。
もいだ頭をぼうっと眺めていると、眼前に広がった茂みの中からガサガサと音がした。
また蛇だろうか、と少年は訝しむ。
茂みの音はだんだんとこちらに近づいている。ふと、茂みの中から視線を感じ目を凝らす。
人間についた二つの目らしきものが、薄暗い茂みの中からこちらを凝視していた。
「少年、力が欲しいか」
目はしゃがれた声で問いかける。少年は恐怖に口をパクパクとさせるが、目が言う「力」に少なからず惹かれていたのも事実だ。
「なんの、力ですか」
「時を止める力だよ」
「くれるんですか」
「もちろん」
少年は二つ返事でその力を受け入れた。時を止める、だなんてフィクションでしか成立しない力だ。
目は嬉しそうに目を細めて話を続ける。
「ただし忠告だ。この力は一度きりしか使えないんだ。使い所はようく考えるんだよ」
少年はこくりと頷く。一度きり、という言葉に落胆はしたが、元より使えるはずもなかった『時を止める力』を手に入れたこと自体が少年の胸を高鳴らせた。
ある日、少年は信号を待っていた。
力を手に入れてから早数ヶ月が過ぎていた。
眼前に光るのは赤信号だ。今日は新作のゲームソフトが発売される。いち早く家に帰りたくてしょうがなかった。
そわそわして、左右を確認する。右方向、遠くに車の陰が見えた。走ればまだ間に合いそうな距離。
少年は赤信号を走った。突如、左からプウウウと耳を切り裂くようなクラクションが響き渡る。音の方向を振り向くと、車がすぐ傍まで迫っていた。右側の車に気を取られ、左から新たに来た車に気づかなかったのだ。
足がすくんだ。しかし、少年は決心する。力を使うのは今しかない。不本意だが、ここで撥ねられてしまえば確実に死んでしまう。
少年は胸に祈る。時間よ止まれ、時間よ止まれ。
クラクションが鳴り止んだ。車の排気音も、街を歩けば聞こえる雑踏も全てが鳴り止み、しんと世界を静寂に包み込む。
少年は自分が生き延びたこと、力が本当だったことに興奮し感情を昂ぶらせる。が、それは束の間だった。
少年は左側を向いて車と睨み合う形のまま硬直していた。体の細部まで一寸も動かすことはできないまま、思考だけが止まった世界の中で生きていた。
そこでようやく理解した。時を止める力というのは、少年も含めた全ての時を止めることなんだと。
少年はいつか見た神話の内容を思い出した。それに出てきたウロボロスという蛇は自ら尻尾をくわえており、一つの環状になっていた。それは永遠を象徴とするらしい。
あの日現れた謎の目は蛇の恨みが募ったもので、自分を永遠の中に閉じ込めたのではないか。少年はそんな風に妄想を膨らませたが、今となっては究明することのできない真実だった。
9/19/2023, 11:07:54 AM