針間碧

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『愛情』

 学校に行く。バイトに行く。帰る。これが私のルーティン。部活はしていない。そんな暇はない。なんせ、天涯孤独の身だから。
 今の身の上になったのは、本当に突然の事だった。私が高校に入ってすぐ、両親が交通事故にあって亡くなった。よくある話だ。ただ、両親ともに一人っ子であり、両親ともの祖父母は既に他界していた。それだけの事。恐らく調べれば遠縁等はいるのかもしれないが、会ったこともない子どもが突然親戚ですなんて言ってきても困るだけだろうから、調べるのをやめた。とはいっても未成年である為、事実上の後見人はたてられた。その人は、母親の友人なのだという。弁護士をしており、いろいろな手続きも代わりにやってくれた。しかも、何故か無償で。申し訳ない、両親が貯蓄してくれていたお金はあるわけだしちゃんと払いますと言ったが、気にしないでの一言で終わってしまった。その時は仕方なく引いたが、いずれちゃんと返そうと心に決めている。
 その人は、私が今まで通り暮らせるようにしてくれる代わりに、いくつか条件を出した。一つ、学校は高校、行きたければ大学まで行くこと。一つ、基本的には両親が残したお金で支払いをするが、もしその他の必要経費で足りないものがあれば費用はこちらで負担するから言うこと。一つ、定期的に状況報告の連絡を入れること。一つ、定期連絡とは別に、月に一度は顔を合わせること。
 あまりにもメリットしかない条件だった。まるであしながおじさんだなと思ったことは、内緒にしている。いや、相手は女性なので、あしながお姉さんか。何故そこまでしてくれるのか勿論気になったが、昔あなたの母親に助けられたから、としか言ってこなかった。私としては、母親にそんな友人がいたとは思いもしていなかったのだが。結果として一人暮らしという一定の自由は得られた。
 その人は忙しいだろうに、私が定期連絡を入れたらちゃんと返信してくれるし、月に一度の顔合わせもちゃんとしてくれる。お金の工面の為に私がバイトをしたいと言った時も、安全なバイト先を調べて、候補を作ってくれた。その時にバイトは大学になってからでいいのにと言われたが、できるだけ金銭面で援助は避けたかったので、そこは折れなかった。結果的に、それなりに時給も良いバイトをすることができた。
 そのまま二年が過ぎ、高校卒業目前となった。
 今日は卒業前最後の顔合わせ。無事大学を合格したことは定期連絡で伝えてはいたが、実際に会っては言っていなかったため、今日言おうと思っていた。そして、今日こそ今まで親切にしてくれた理由を教えてもらう。そう決めていた。
「久しぶりね」
「お久しぶりです」
 月に一度なのでいつもの事なのだが、これが最初の挨拶となっていた。それが二人の暗黙のルールでもあった。
「おかげで大学も合格して、高校も無事卒業できそうです」
「合格したのは私の力じゃないわよ。あなたが頑張った結果じゃない」
「でも、いろいろお世話になっていないと高校の卒業すら危うかったかもしれません。とても感謝しています」
「それなら、素直に受け取っておくわね」
「大学についてなんですが、連絡でも言ったんですが遠方になるので、ここから離れることになりそうです」
「そうね、少し寂しくなるわ」
「なので、多分顔合わせが難しくなると思うんですけど……」
「気にしなくていいわよ。今までは近かったから問題なかったけど、遠くから来いなんて言えないし、私もそちらまで行くのは流石に厳しいからね。長期休暇でこちらに帰ってきたときにでも会ってくれればそれでいいよ」
「ありがとうございます…。あの……」
「どうしたの?」
「そろそろ聞きたいんです。どうしてそこまで優しくしてくれたのか」
「言ったじゃない。昔あなたのお母さんに助けられたって」
「そうは言いますけど、うちの母は今までそこまで交友関係を私に話してこなかったから分からないんです。母親に友人がいるという感覚が」
「…まあそういうものよね。あなたのお母さんはあまり自分の事は話さないタイプだったし、人の事も話さないタイプだった」
「それってどういう…」
「口が固いってこと」
 いまいちよく意味が分からない。仕方がないので無言で続きを促した。
「昔ね、あなたのお母さんに告白したことがあるの」
「告白?」
「あ、告白って好きとかそういうのじゃないよ。まあ似たようなものではあったけど。…私ね、女性が好きなの」
 今日一番の衝撃だった。今まで全くそのような気配を見せなかった。私が鈍いだけだったのかもしれないが。
 私が目を見開いたのを見ていたようで、少しため息のような笑顔を見せ、話を続けた。
「あなたのお母さんになら話してもいい。あわよくばって気持ちはあった。…あの人は、私を肯定してくれたうえで、断った」
 昔を思い出しながら話をしてくれているのだろう。目の前の人は、こちらを見ているようで、その向こうを見ていた。
「その後は、今まで通り友人として接してくれた。私がそう望んだから。そうしてほしいとは言わなかったけど。それに、私の事を周りに一切言わなかった。それも、私がお願いしたわけじゃない。はじめての告白ってわかってたんでしょうね。彼女らしいと思ったわ」
 ここまで話して、言い切ったのか少し伸びをしていた。これ以上を話す気は、今はないらしい。
「このことを話したら、もう会わないと決めていたの。邪な目で見ていないとはいえ、相手がどう思うかはまた別の話だから」
 だから、後見人でなくなる成人を超えるまでは言うつもりはなかった、と話した。
「でも、あなたを見ていると、それって誠実じゃないんじゃないかって思えてきた。だから、次聞かれたら話そうと思っていたの」
「だから今日話してくれたんですね」
「ええ、この後あなたがどうするかは好きにしていいわ。後見人である以上勤めは果たさせてもらうけど、それ以上の関わりを持ちたくないのならそれでもいい。あなたには選ぶ権利がある」
 母の友人と名乗るその人は、こちらを真っ直ぐに見据えて言った。そこにはただ、愛情があった。
「…とりあえず、引っ越しの手続きを手伝っていただいてもいいですか?」
「え?」
「ほら、物は少ないとはいえ、一人じゃ大変じゃないですか。手伝ってくれると助かるんですけど…」
「…いいの?」
 お前の母親に劣情を抱いていた人間だぞ。言外にそう言っているのが分かった。でも、気にしない。この人は、決してそれだけを理由に私に良くしてくれていたわけではないと分かっているから。
「是非。今度は母の話ももっとしてください」
 私は、目の前の人に向けて手を出した。その人は、一瞬躊躇したが、次の瞬間には笑顔でその手を取ってくれた。

11/28/2023, 7:13:04 AM