M.E.

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小学校の放課後、ときどき友達と遊んだ。



近所の小さな公園で、ブランコをこいだり、滑り台を滑ったり、ギャングルジムに登ったり、おにごっこをしたりしていた。

その頃は、こういった遊びが楽しくてしょうがなかった。



大人に「一緒に遊びたい!」といったときに、ほとんどの大人が少し面倒そうな表情をして、やんわり断ったり、しぶしぶ遊びに付き合ったりする様子を何度かみた。

わたしはこのような大人の様子をみて、自分もいつか遊びが面倒に感じるときがくるんだろうか。考えてみたが、そんなときがくることは信じられなかった。



しかし、気が付いたら、わたしはこういった遊びをしていないし、遊びたいとも思わない。



わたしは、これまでを振り返って、子どもから大人になるときに、なにか大切なものを置いてきていたような気がする。



小学校では、勉強でわからないことはあまりなかったが、中学校になると急に難しくなり、授業を受けただけでは理解できないことが増えた。

さらに、中学では番数もつけられるため、自分が学年で何番目に成績がよいのか、あるいは悪いのかがわかる。

また、中学の先生たちは勉強しないと、これからの社会で生きていくのは難しいという。

このような状況下において、わたしは番数を気にしたり、わからないことに焦ったりしていて、正直勉強に嫌気がさしていた。しかし、勉強しないと、将来仕事につけなくなるかもしれない。ただひたすら勉強した。

こうやって、将来の不安・心配を少しでも軽くするために勉強することが習慣となっていった。  

そして、この習慣は、これから生きていくために、誰かと比較したときに、自分が少しでもいい順位にいないといけないと、常に考えるきっかけになったのではないかと思う。



そのうち、遊ぶ時間を確保できなくなり、遊びたい気持ちすらもなくなっていった。



こうやって、じわじわと布に水分が染み込んでいくように、子どもから大人になっていたのだと思う。



悲しいことだけど、もうそれは受け入れるしかない。
 


しかし、このことに気づけたなら、意識を変えることもできると思う。他人と比較せずに、過去の自分と比較して今の自分をみつめることはいいトレーニングになるだろう。順位の呪縛から解かれるのはかなり時間がかかるだろうが。



最近、久しぶりに走った。寒くて、早く帰りたいと思いながら外に出たけれど、走ったら暖かくなって、冷たい風が頬に直撃しても気持ちいいと思った、走るって楽しいと思った。なんかみつかりそうな気がする。





子どものころに置いてきた大切なものを、みつけに行こう。



 

みつけたときには、一度はバイバイしたけど、また会えたねって、うれしいって伝えたい。





________________________________________バイバイ_______________________________________________。









2/1/2025, 2:59:22 PM