結城斗永

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※この物語はフィクションです。登場する人物および団体は、実在のものとは一切関係ありません。
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タイトル『時の狭間の預かり所』

​ 二〇二五年、最後の夜。小さなデザイン会社に勤める僕は、ようやく最後の仕事を終えて帰路についていた。ここのところ、起きている時間のほとんどを事務所で過ごしている気がする。もうしばらく帰省もできていない。
 街一番の繁華街は、帰宅を急ぐ者や、新年を待ち侘びる若者たちの熱気で溢れかえっている。巨大な街頭ビジョンにはカウントダウンの文字が踊り、ネオンと電飾に彩られた街はまるで星粒のように煌めいている。
 だが、僕にはその光景が、つい先程入稿を終えたパチンコ屋の派手なチラシのように見えて頭が痛くなる。

 入社して四年。期待していたようなクリエイティブはなく、ただ用意されたフォーマットのうえに、クライアントの要望という名のアクリル絵の具を塗りたくるような仕事。尽く上塗りされた絵の具に、自分の地色はとうに見えなくなっていた。

 ショーウインドウに、僕がこの業界に憧れたきっかけになったハイブランドの広告を見つける。細部に目を凝らせば凝らすほど、洗練されたこだわりが見えてくる。
「こんなはずじゃなかったのにな……」
​ 僕は自分の手をまじまじと見つめる。何も掴めていない空っぽの手はとても小さく見えた。

 喧騒から逃げるように裏路地へ身を潜めると、辺りは急に薄暗く、静かになった。
​ ふと、雑居ビルの影に淡い光がぼんやりと浮かんでいるのが見えた。足が自然と吸い寄せられていく。
 光の正体は簡素な露店だった。雑多に品物が並ぶ中に質素な格好をした老人がひとりだけ座っている。
​「いらっしゃい。忘れ物を取りに来たのかい?」
 老人の言葉に僕は首を傾げる。
「……忘れ物?」
 顔を上げると軒先の看板には『時の狭間の預かり所』とあった。
「人は気づかないうちに、思い出やら理想みたいなものを落っことしちまうのさ。俺はそんなのを拾っては、こうして持ち主が現れるのを待ってる……」
​ そう言って老人が取り出したのは、深い紺碧の生地に光の粒が瞬く一枚のストールだった。
​「あんたの落とし物はこれかな……」
 そのストールに見覚えはなかったが、自然と手を伸ばしたくなるような感覚があった。
「預かり期限は今年いっぱいだ。あんたが持ち主だと分かれば、俺も快くお返しするよ。ただね――」
 老人が不敵な笑みを浮かべながらギロリと僕の顔を覗き込む。
「心の底から望まなきゃ、こいつも星の彼方に消えちまうだろうさ」
​ その時、低い鐘の音が遠くから聞こえてきた。どうやら除夜の鐘が鳴り始めたらしい。
 
​ 僕はストールに手を伸ばす。その瞬間、生地に触れた指先から、幼い頃の記憶が流れ込んでくる。画用紙いっぱいに走るクレヨンの線。道端でキレイな石を見つけては拾っていた頃の高揚感。
 十回、二十回と鐘の音が響くたび、忘れていた思い出や抱いていた夢が蘇り、心臓の奥で小さく音が弾ける。
 ストールも呼応するようにキラキラと輝き始める。その姿はまるで夜空の星のようだった。

 それぞれの思い出はとても美しいはずなのに、混ざり込んでくる現実がそれらを掻き消していく。
 自分の考えなんて捨てろ。フォーマットに従えばいい。納期を守れ。時間とコストはできるだけ削れ。
 鐘は容赦なくなり続ける。そのたびに低い震動が夜の空気を伝い、僕の胸を揺らす。
 
 表通りが騒がしくなる。年明け三十秒前のカウントダウンが始まった。
「あんたが手放すってんなら、それでも構わんよ……」
 老人がまた口元を大きく歪めて笑みを浮かべる。
​ カウントダウンの数字が減るほどに、通りの賑わいが勢いを増していく。手のひらにじっとりと汗が滲む。

 その時、ふと言葉が舞い込んだ。
 ――あんたの手、いつの間にこんなに大きくなったのかしら。
 何年か前、帰省した時に母に言われた言葉だった。
 クレヨン、石ころ、絵筆に色鉛筆、ペンタブの感触。これまで積み重ねてきたものが、次々と手のひらに集まっていく。
 ――このまま終わりたくない。

​「もう一度夢を見たい!」
 夜の静寂に声は思いのほか響いた。老人の眉がピクリと動く。
「僕の魂が美しいと信じるものを、もう一度この手で形にしたい!」
​ 叫んだ瞬間、ストールが夜の闇に溶けるように透き通り、僕の肩へと舞い上がった。僕はそれを両手で受け止め深く纏った。

 百八回目の鐘が鳴る。街の賑わいは最高潮に達した。
 お祭り騒ぎの中で、僕だけはまるで星空に包まれるように穏やかな気分だった。深く息を吸い込むと、夜の澄んだ空気が肺を満たし、心の底から希望が溢れてくる。

 遠くで上がる新年の花火が、冬の空を彩る。
 もう、迷いはなかった。
 僕はカバンからスケッチブックを取り出し、冷たいコンクリートの上に座り込んだ。
 まだ誰も見ていない新年の光を捕まえるように鉛筆を走らせる。僕にしか描けない世界をこの真っ白なページに残していくように。

#星に包まれて

12/30/2025, 11:54:38 PM