とげねこ

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物音を立てるな。
口をつぐめ。
目立つな。
海に聴こえないように。

戸を閉じろ。
窓を閉じろ。
女子供は家の奥に、
男は扉の前にいろ。
海に気づかれないように。

家畜が嘶いても、
ヒトが悲鳴をあげても、
ヒトの笑い声が聞こえても、
決して興味を持つな。
見に行くな。
海に魅入られないように。

海に魅入られたものがいたら、
黙って送り出してやれ。
海に興味を持たれないように。

−ある海沿いの街で、
その年初めての気嵐の日に唄われる詩−

無惨に食い荒らされた家畜を丁寧に布に包んで、飼い主である街人の父娘は、地下洞窟の祭壇の下にある水路に、それを投げ入れた。
娘は、普段立ち入りを禁じられているそこに入るのは初めてで、一度は入ってみたいと思っていたが、大切にしていた家畜の死の哀しみで、全く嬉しいとは感じなかった。
ばちゃんという音と共に水飛沫をあげ、沈んでいく。
左に進むと海に出るというが、ここからは見ることはできない。
しばらく水面を眺めていると、涙で視界が滲んだ。
「行くぞ」
と言って、父が彼女の手を取る。その声には焦りとも畏れともつかない感情がある。
彼女は取られたのと逆の手で涙を拭い、父と帰路に着くべく踵を返す。
(きゃはは…)
洞窟内に微かな嬌声が響いた気がした。
父の手にぐっと力が込められて、足早になる。
娘は突然歩きの速度が上がったことの転びそうになったが、なんとか持ち直して、若干の駆け足で父の歩幅に合わせた。
(きゃはは…)
娘の耳にその嬌声がへばりつき、消えることはなかった。

1/21/2024, 3:37:32 PM