私は常々思うことがある。それは、物分かりが良くなることはイコールで成長したと言えないのではないかということだ。確かになんでもかんでも自分の要求が通ると思い込んで好き放題言うという状態は早めに卒業するに越したことはない。それはただただわがままなだけだからだ。しかし、何でも相手の言うことを受け入れたり、相手の顔色を窺って言いたいことを飲み込んだりするのは何か違うように思う。なぜなら私自身それで後悔したことがあるからだ。
私が小さかったころ、一番仲良かった子の引っ越しが急に決まった。それも気軽に会いに行くことができるような距離ではないところへの引っ越しだった。到底受け入れられなかったが、聞き分けの良い子供を演じていた私は決して「行かないで。」とは言わなかった。だが、お別れの日、その子から言われた言葉は今も消えない傷として残っている。「一度も引き留めるようなことを言ってくれなくて寂しかった。私たちの仲ってこんなものだったんだね。」と。そんなことを言っても困らせてしまうだけだと思ったと後から理由付けすることは簡単だった。それでも一度でも言葉に出して言ってくれることを待っていたのだろう。あれから長い時が経ったが、一度も連絡は取れていない。
10/25/2024, 3:22:52 AM