高校生の頃、久しぶりに縁日に行ったときの話です。
ラムネの屋台を見つけて、懐かしさから一本購入。
ラベルを取って、蓋を開けて、さあ飲もうというとき
ふと、ボトルの中のビー玉に目が止まりました。
ボトルの中のビー玉と言いましたが、より正確に言えば、ビー玉に写った自分の顔に、目が止まりました。
あれ、自分ってこんな顔だっけ?
それは普段、毎朝鏡で見る自分に比べて、いくらか明るく快活で、まるで憑き物が落ちたような、そんなふうにに見えました。
そういえば、よく疲れてそうとか、余裕なさそうとか言われるな。
そういう普段の自分は、みんなからはどう見えてたんだろう。
今の自分が、このガラス玉に写る、その感じではないんだろうな。
今の自分をみんなが見たら、少し違う感じに見えるのかな。
その時ようやく気づきました。
普段見る普通だと思っていた自分の顔が実は酷くやつれたものであるということに。
そして、日々の負担から開放された今の顔こそ、実は本来の自然な顔かもしれないということにも。
そう思うと、今まで当たり前だと思っていた張り詰めた生活も、当たり前ではなくて、もっと明るく幸せに暮らすこともできるのかもと、そう希望を持つことができました。
瓶の中のビー玉が、他人の目の代わりになって自分を写してくれたことで、より良い人生への希望を抱くことができた。そう思うと、無性に感謝したくなるような気持ちになり、一気にラムネを飲み干しました。
ボトルを逆さにして下から見るビー玉は、周りのキャップがまぶたのようで、涙に濡れているようで、まるで本当の目のように見えました。
安らかな目でした。
3/15/2023, 6:44:09 AM