冷端葵

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誰よりも

 「誰よりも」という表現は嫌いだ。明らかな誇張表現だから。「誰よりも努力した」「誰よりも好き」「誰よりも知っている」「誰よりも苦労している」。そんな訳ない。80億人の頂点になんて立てない。そもそもそれらは他人と比較するべきものではない。

 ……それならば、仮にそれらがしっかり数値化されてしまって、順位も表示されるとしたらどうだろうか。

 例えばこうだ。努力レベルが数値化され、24時間や1年、一生の合算値ランキングが表示される。世界や国内ランキングで1位になった人は有志によりインターネットにまとめられる。メディアは輝く瞳で彼らに取材するのだが、彼らのすべてが成功しているわけではないだろう。涙ぐましい努力の先にも凡庸な人生が広がっていることに、ある者は絶望し、ある者はそれでも夢を抱く。

 気持ちが数値化されたらどうか。人々はランキングを気にするようになり、純粋な想いが失われていくだろう。ランキングは絶えず変動し、あるとき24時間ランキングで世界1位になった者がその後はトップ10000にも入れないなんてことはザラだ。結局一時の話題作りにはなれど、価値あるデータとしては扱われなくなる。そうして人類は葛藤を繰り返し、次第に本来の「気持ち」を取り戻していく。

 案外悪い世界じゃないな。今と大して変わらない。
 人と比較するのも悪いことじゃないのかもしれない。そんな気持ちになる。面白い思考実験になった。

 さて、今後技術革新が起こったらこれらは実現されるのだろうか。
 その試みが悪いことだとは今や思わない。ただ、できれば知識レベルと苦労レベルの可視化は見送っていただきたい。順位にばかり囚われて本来持つべき思いやりを見失いそうだ。

2/17/2024, 1:13:51 AM