水白

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いつまでも捨てられないものがある。
心情で、という話ではない。本当に、捨てられない。

ソレを見つけたのは、台所の戸棚の中だった。
水道の調子が悪く、素人心で水道管を見てみようと普段あまり使うことのない戸棚を開いて確認していると、奥になにか光るものを見つけて、手に取ってみた。
指輪、だった。
よくあるシンプルなシルバーリング。
真新しく見えるのに、表面の所にわかりやすく傷が付いている。
「なんだこれ」
見覚えはない。引っ越してきてからもう随分経つが、前の住居人の忘れ物、だろうか。
指輪なんて感情の籠もりそうな他人の物なんてあまり持っていたくない。
その日のうちに、燃えないゴミと一緒に捨てた。
はずだった。

「…あれ?」
また、指輪を見つけた。今度はベッドの下で。
傷が付いているその指輪は、昨日見たものと同じ物のように見える。
捨てたはずだが、袋からこぼれでもしたか。
不思議に思ったが、ゴミ袋にやぶけなどないか確認して、もう一度ゴミ捨て場に持っていった。

次の日も、指輪があった。洗面台の棚の中。
自分は昨日確実に捨てたはずだ。
同じ物が2つあった?しかし傷は同じ位置に同じ向きで付いている。同じ物としか思えない。
ではなぜこんなところに。……戻ってきている?
そんな馬鹿な、気のせいだろう。
なんにせよこんなところに中古品の指輪があるのが見つかったら、彼女に変な勘違いをされてしまう。
ただでなくても最近会えていないのだ、最後に会ったのはいつだったか。
苛立ちと共にゴミ箱に追いやった。

しかし、家に帰るとまた、指輪が戻っていた。
備え付けではない、自分が買って設置した冷蔵庫のチルド室に。
さすがに気味が悪くなってきて、その場で窓から投げ捨てた。

そのはずなのに。
その次の日も、次の日も、次の日も次の日も次の日も次の日も次の日も次の日も次の日も次の日も次の日も次の日も次の日も次の日も次の日も、指輪は戻ってきた。
なぜ。
気持ちが悪い。
こわい。
今まで居心地の良かった自分の家が、得体のしれない場所になってしまったように感じる。
「…そうか!」
そうだ、きっとこの場所がいけないのだ。
ひとまずここにいたくなくて、いつも通り不気味な指輪を投げ捨ててから、外出し、漫画喫茶で夜を明かすことにした。

狭い個室スペースに閉じ籠もり、鍵を掛け、スナック菓子にペットボトル、マンガで城壁を作ったら、指輪のことなんて忘れてしまえるはずだ。
気になっていた映画を見るためヘッドホンを付けて、世界を遮断した。

気付くとモニターが真っ暗になっている。眠ってしまっていたらしい。
今は何時だろうか。机の上に置いておいたはずの携帯電話を手で探ると、カツンと何かに当たる。
携帯ではない。しかし、この感触を知っている。それも最近。
冷えた円状の金属。輪を乱すような凹凸の跡。
あの指輪だ。
「ヒッ…!?」
なんで、どうしてここに、なんで、ここは家じゃない。
なのになぜ、とパニックになるかたわら、脳の冷静な部分が囁く。
お前に着いてきたのだと。


「……それで、ぼくに相談に来た、と?」
「そうだ、君、こういうのに強いんだろう?助けてくれよ!」
大きな瞳を丸める少女―に見紛う少年、いや、同じ大学生のはずだから青年と言った方が正しいか―はきょとんとまばたきをしている。
「前聞いたんだよ、うちの大学のピンク頭の可愛い子がオカルトに強くて、他の奴の悩み解決したこともあるって!君の事だろ?」
「うーん…ピンクの髪ってだけじゃなくぅ、かわいいとまで来たらぁ十中八九ぼくのことだろうね!」
えっへん、と言って腰に手を当てている青年に、例の指輪を見せる。
もう触りたくなくて、そこらにあった紙に包んで持ってきた。
「なぁ、これって呪われてるとかそういうやつだろ!?」
「うん、まぁ、呪いだね?」
歯切れが良くないのが少し気になるが、藁にでも縋る思いで彼に詰め寄る。
「これどうにかしてくれよ!もう頭がおかしくなりそうで…」
「どうにか…って言ってもなぁ…」
「なぁこれ、引き取ってくれないか?」
「えっ!?もらっちゃっていいのお?!」
最初に声を掛けた時と同じく、驚いた顔をしている。
「もう持っていなくない、二度と見たくない」
「…へえ?じゃあもらったら、何してもいいってこと?」
一瞬、躊躇う気持ちが生まれたのはなぜか。
彼の目が、猛禽類のように見えたからだろうか。
「…あ、あぁ、俺の所に二度と戻って来ないなら何でもいい」
「わーい!じゃあ、約束ね?」
鋭い嘴も爪も持ち合わせていないふわふわとした顔で彼は笑った。


帰ってきてから一晩経ち、家中くまなく探したが、例の指輪は見つからなかった。
持ち主は、彼に移ったのだ。
安堵から玄関の横で座り込む。
「はぁ…よかった…」
今度会ったらお礼をしなくては。あまりに焦っていたので、名前すら聞いていなかった。
噂をしていた奴に確認してみるか、とポケットの中の携帯電話を取り出そうとした時だった。

パリン、と何かが割れた音がした。
薄い飴細工が砕けた、ような。

「わーほんとに罠でもなんでもなかったんだねえ?」
「なん、で」
いつの間にか、玄関の外に桃色の髪の青年が立っていた。
「生前の記憶を中途半端に残してるにしても、祓除する側に自分の核渡してくる呪霊ってどんな罠ぁ?って思ったけどぉ」
その手には、何片にも砕けたあの指輪があった。
「一番大切な記憶がないと、こんな展開になっちゃうのかな?…いやでもやっぱりレアケースすぎるでしょお」
彼は何を、なにを言っているのかわからない。
生前?
記憶がない?
どういう意味だ。
彼に近付こうとしたが、己の足も、口も、喉も、なかった。
「    」
どうして。
それだけが頭を巡る中、あの指輪の欠片に残る傷跡を見て、思い出した。
あぁ、そうだ、それは彼女が


「…消えたね、痕跡とかも…なし!消滅かくにーん!任務かんりょー!
それにしても変なおばけちゃんだったなー…やっぱり指輪がキーかな?持って帰ってもっとちゃんと調べてもらおーっと」
鞄から布袋を取り出し、指輪の欠片たちを流し込む。
青年が手をかざすと、ぶつかり合って鳴っていた小さな金属音が消える。
そして、さっきの出来事など忘れたかのように振り返りもせず、桃色はその場から消え去った。



【いつまでも捨てられないもの】

8/17/2024, 1:53:17 PM