6B鉛筆

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最後に見たのは、「ごめんね」と動く唇と
初めてみた貴女の泣き顔だった。


"今日未明、■■区で女性の遺体が発見されました。
遺体があったのは、〇〇通りの裏手にある細い路地で、今朝事件近くの交番に女性が出頭。警察の調べによりますと
出頭した女性は「ビルの屋上から友人を突き落とした」と証言しており、遺体の状況を見ても証言と一致していることから
殺人の容疑で調べを進めています"



私と彼女は恋仲だった。

セクシュアルマイノリティが珍しくはない時代に
彼女の両親は酷く前時代的な人たちで
私達の関係を喜ばしく思ってはくれなかった。

「うちの娘をよくも唆してくれたな」と玄関で水を浴びせられたこともあったっけ。

それでも、彼女は私を好いてくれていた。

私もそれ以上に彼女を愛していた。

ただ、元々家族仲が良かった彼女との交際を表向きに続けるのは難しく、自然と親の目を盗みながら密会を重ねるようになった。

私の家庭は、父親と二人暮らし。

父は私のセクシャルを理解していてくれたし
彼女の事も「まるで娘ができたみたいだ」と喜んでくれていた。

「実の子供もちゃんと娘だけど?」と皮肉ると

「こんな男勝りになるとは思ってなかったさ」と笑ったりもした。


全て過去の事だ。


2年前、友人と旅行に行くと言った父は
高速バスの事故に巻き込まれ還らぬ人となってしまった。

不幸とは重なるもので、彼女の両親に私達にまだ関係があったことがバレてしまったのだ。

彼女は必死に説得をした。
だが、その説得にも耳を貸してはくれなかったと、泣きながら私の部屋へやってきた。


「お見合いをしろっていうの…。ちゃんとした人を探すから、その人と結婚しろって。わたしの事を何も知らないのはあの人達よ…」

彼女の人生を思うなら、別れるのが先決だ。

何も言わないでただ抱きしめていると、考えを察した彼女が

「別れるなんて言わないよね…」

と言葉を漏らした。

心の芯が、今にも折れそうな彼女に
私は「愛している」とキスを送った。

「父さんが、お金を残してくれてたんだ。私が結婚するときに必要になるからって、ずっと貯めておいてくれたの、遺産も。私の貯金も少ないけどあるし、贅沢はできないけど、しばらく暮らせるだけのお金はあるはず。それ使って遠いところに行こう。」

本音だった。

このままこの場所にいれば、いずれ彼女は壊れてしまう。

私はそれを見ていられない。

もしかしたら、二人の関係はずっとじゃないかもしれない。

いつか別れるかもしれない。

でも、それを言うなら彼女と両親の関係もそうだ。

今は、受け入れられないかもしれない。でも、いつかの未来でまた彼女の家族が笑い会える日が来るかもしれない。

その時まで、側で彼女を支えられるのは私しか居ないと
本気でそう思っていた。


涙で濡れた瞳が朝焼けにきらきら光る。

本当に泣き顔ですらこんなに愛おしい。

「いつにする?」

「いつでもいいよ。明日でもいいし、仕事の事もあるからもう少し先でも…」

「じゃあ来月!それまでに行き先を決めなきゃね!」

泣き腫らした顔で笑う彼女にまたキスをする。

金曜日の仕事終わりに会う約束をして彼女は帰って行った。



スマホに彼女からの着信があったのは、約束の金曜日を待たず、あの日から2日目の夜だった。

今から出てこられない?会いたい。と、嫌に落ち着いた声だった。

位置情報を送ってもらい、すぐさま家を出た。



位置情報が指すのは普段は行かない裏通りのビル。

嫌な予感しかしない。

焦りと、ざわつく心。頭の後ろが妙にひんやりとする。

タクシーを降り、ビルの下へ向かうとスマホが鳴る。

「非常階段から上に来れるよ、月がすごくきれいなの。」

非常階段を駆け上がる。通話を切っては居ない。

「一緒に行くところね、色々考えたの。定番だとアメリカかな?とか、ヨーロッパはちょっと贅沢だと思うから、これは後回しにして、アジア圏なら物価も安いし食べ物美味しいからまずはそこでお金を貯めてさ、ゆくゆくはヨーロッパ目指したり…」

「さくら!!!!」

通話口の声と自分の声が重なって聞こえた。

「皐月ちゃん…」

携帯を放り投げ、愛する彼女を抱き締める。

早見さくら、26歳。

ダークブラウンに染めた髪に弛くパーマをかけている。

白い肌には、青痣が見え、二重の目が不自然に腫れている。

いつもリップを塗って艶々していた唇は、端が切れ赤い血が滲んだ。

「さくら、さくら…っ」

「皐月ちゃん、わたし、もうむりだよ…」

弱々しく服を握る手が震えている。

「もう、遠くにいきたい…、一緒にきてくれる…?」

強く抱きしめて、当たり前だ、と答えた。



フェンスの向こう側に、愛する人とふたりで手を繋いで並んでいる。

なんだかすごくロマンチック、誰かに写真でも撮って欲しいくらい。

横に立つのは、立花皐月ちゃん、26歳。

耳の下で切りそろえた髪は夜の海みたいにつやつやしてる。

ベッドの上で、この髪がわたしの頬を擽るのが好きだった。

お父さん似の奥二重の目が、眠くなると二重になるのが可愛くて、内緒でたくさん写真を撮ったの。

わたしの夢は、ふたりでヴァージンロードを歩く事。

ああでも、そんなこと叶わないなと思って溜息をついた。

「怖い?」

皐月ちゃんが聞いてくれる。

怖くないよ、それよりも「巻き込んで、ごめんね。」

空中に一歩踏み出す。

踏みしめるところのない足が、重力に連れられて身体ごと下へ落ちる。

左手から暖かさがふっと消えた。

最後に見たのは、ごめんねと動く唇と
大好きな貴女の初めて見る泣き顔。

違うよ。私が離したの。

一緒に来てくれると信じていた。でも、心のどこかで貴女には生きていて欲しいと願ってしまった。

わたしの死と共に生きて欲しいと、きっと忘れるなんて出来ないでしょう?まるで呪いね。

最後まで、わがままでごめなさい。

さようなら、愛しい人。




「すみません」

「おはようございます。どうかされましたか?」

「恋人を、ビルから突き落としました。」

「…はい?」

「この裏の通り、東に少し行ったところに、恋人の死体があります。確認おねがいします。私を、逮捕してください。」

「…奥でお話を聞きます。お前は言われた場所へ、必要なら応援も」




あのときに頭を過ぎったのは、残されていく彼女の両親のこと。

彼女と一緒に死んだとして、彼女の両親は?

娘を突然失った哀しみを、苦しさを、どこにやればいいの?

罵倒する相手が居るならまだ救われる。その相手すらも居なければ?

SNSのやり取りから、マスコミは勝手な憶測で面白可笑しく事件を取り上げるだろう。

そんな事、彼女は望んでいない。私も。

そんな私の思考を読み取ったかのように、私の右手から彼女は離れた。

咄嗟に後ろのフェンスを掴む。

「ごめんね」と呟く私に、さよならと大好きな笑顔で答えてくれた。







あの日から、私の世界は一変した。

彼女の両親からは酷く罵倒され、世間からも人殺しのレッテルを貼られた。

苦しくないといえば嘘になる。

愛する人を失った世界で生きていくことが、苦しくない訳がない。けれど、あの日私の手を離した彼女が死を以って与えてくれた苦しみならば、この苦しさすら愛おしい。

狂っていてもいい、歪んでいてもいい。

ふわりと優しいあの髪で、首を絞められているような甘い苦しみが今日も私を生かしてくれる。

ごめんね、おはよう、愛しい人。

5/29/2023, 3:02:33 PM