好き嫌い
絵を描くのが好きだった。
幼稚園の頃から落描きくらいにはよく絵を描いていたが、決定的瞬間は小学校高学年に入ったばかりの頃。図画工作の時間に簡単なデッサンのようなものを習った。その頃の僕には新鮮で、なんだか楽しくて。先生や親に褒めてもらえるのも嬉しくて、絵の虜になっていった。
動画サイトで絵の描き方を調べ、気付いたらアニメ系のイラストをよく描くようになった。上手くいかなくてむしゃくしゃするときがあっても、過去を振り返れば着実に成長しているのがハッキリ形に残るのが嬉しくて、その頃にはずっぽり絵の沼にハマっていた。
「ひろくん、すごい!」
同級生に、凄く絵の上手い子がいた。皆からひろくんと呼ばれていた。
ひろくんは、当時流行っていたアニメのイラストがすごく上手くて、クラスメイトは勿論、別のクラスの子からも「絵を描いてほしい」と頼まれていた。ひろくんは運動も勉強も得意で、絵以外はだめだめな僕とは違っていて、ずるいなとおもった。みんなにチヤホヤされていたひろくんは、子供ながら、妬ましかった。子供だから、悔しかった。
でも、僕の絵を見てくれる友人も居て、身内間で純粋に楽しんでいた、ある日。
「南くん、ハイライトの付け方おかしくない?」
休み時間、友人と絵を描いていた僕の机にひろくんが来て、突如そう言い放った。ひろくんの顔は、見れなかった。絵なんて何も分からないであろう同級生達も、ひろくんがそう言うならそうなんだろうと僕のことを馬鹿にしだした。
今なら思う。こういうヤツらをミーハーと呼ぶんだ。
「貸して。ここを、こうしたほうが……ほら、良い感じだろ?」
ひろくんは、有無を言わさず僕の紙を取り上げ、綺麗に修正してくれた。まっくろに塗りつぶされたわけでも、くしゃくしゃに紙を丸められたわけでもなく、本当に上手く修正してくれただけなのに、なんだか泣きそうになった。周りがひろくんへ送る称賛の声が、遠く聞こえた。
純粋に楽しめていた気持ちを踏み躙られた僕は、学校で絵を描くのをやめた。
◇
耳の傍で響く電子音に意識が浮上する。液晶画面を触って騒音を停止してから、寝転んだまま伸びをした。
天井を仰ぎ、そのままスマートフォンを掲げる。時刻は6時、登校の時間まで小一時間はあるといったところか。アルファベット一文字だけ印されたSNSを真っ先にタップして──少し前まで青い鳥を謳っていた──、恐る恐るベルマークに目線を向ける。記された数字は、4。
「はあ……」
溜息を吐けば不幸が来る。その不幸とやらに僕の描いた絵を見てもらえるというなら、寧ろ万々歳の気持ちだった。
スマホを布団に投げ出し、勢いよく起き上がって、ぼうっと正面のクローゼットを見つめながら考える。
絵を描くのが楽しいって、なんだ?
絵って、楽しいものなのか?
僕は絵が、好きなのか?
◇
勉強するのが嫌いだった。
絵に漬け込んでいた日々の隙間に、勉強なんて入る隙もなくて。授業中も休み時間も帰ってからも、ひたすら絵を描いていた。後は少し、ゲームとか。
だから中学受験なんて以ての外だったし、小学校の簡単なテストは半分以上取れていたからまあいいかな、なんて楽観的に思っていた。
だが勿論、中学校はそうはいかない。
「やればできるのに」
うるさい。お前はやっている僕を見たことがあるのか?
「アニメの絵なんて描いて何になるの?」
うるさい。そんなの僕だけが知っていればいい。
「好きなことだけじゃ人生やっていけないよ」
うるさい。うるさい。僕がどんな気持ちで絵を描いているのか分からないくせに。
ひたすら逃げ続けて、逃げ続けた挙句、本当は、絵が「好きなこと」なのかもわからなくなっていた。
テスト前日。僕は、今日も机に向き合う。少し違うのは、スケッチブックを片付けたことだろうか。
「凄いな、南。今までこんな点数取ったこと無かったのに、どうしたんだ?」
ようやく志望校が決まったのか、と言いながら先生がテストを返してくる。今までより四十点も上の点数を見て、なんだか複雑な気持ちだった。
◇
好きなものっていうのは、本当に気付かない内に「自分の承認欲求を充たすもの」になっている場合が多い。
中学校三年生の頃、僕は食わず嫌いしていた勉強を好きなものにした。
でも、絵はまだ時々描いている。SNSにも載せて、反応があまり来なくても、大丈夫。今は絵以外にも、たくさん好きなものがあるから。
それに。
僕は今日も筆をとる。それは勉強するためのものだったり、絵を描くためのものだったり、日記を書くためのものだったり、物語を綴るものだったり。
どれも一度、「嫌い」を経験して今があるものたちだ。
さあ、今日は何をしよう。
「嫌い」を超えた「好き」達全員で、僕だけの世界を創り出す。
6/13/2024, 9:59:16 AM