今日のテーマは『Heart to Heart』ということで。
英語には疎いので調べてみましたが「心が通じ合う」あるいは「心と心の対話」みたいな意味があるようで。
過去の投稿で何度か書いていますが、私は基本的に人は孤独なものであるという考えを持っています。もう少し砕いて言うならば「人は分かりあうことができない」そういう信念があると言って差し支えないと思います。哀れな信念です。
なので『Heart to Heart』なんてことは夢物語りではないか、なんて。そんなことを思ったりしています。
我々は他人を分かることには限界がありますから。
この限界というのは、理解はできても共感はできない、理解も共感もできるが肯定(あるいは同意)はできないなんていう事象を思い浮かべるとわかりやすいのかも。例えば、犯罪者の背景を知って、犯行動機を理解・共感できても(あるいは共感はできない)一般的な感覚を持っている人であれば犯行を肯定することは難しいわけです。
『Heart to Heart』が実際にあるのかはわかりません。あるという意見もあると思いますが、個人的にはあるように錯覚しているだけなような気がします。
ただ、その錯覚もけっして悪いわけではなくて。というのも、人は空想に縋って生きている側面があると思うので。
人と人が分かち合うことには限界がある、『Heartto Heart』が存在するのかわからない。そのように述べてきましたが、限界があるとはいえ、完全にでなくとも理解や共感をされることで救われることがあるわけで。そしてそれは理解や共感の程度にというよりも、理解や共感を示そうとしてくれる姿勢や態度に救われているのではないかな、と。
つまり何が言いたいかといえば『Heart to Heart』を試みる姿勢や態度は確かにあるので、その試みは続けた方がいいよね、なんてことを言いたかったのだと思います。
はい、今日は20分強で書きました。
今夜は寒いので、今日のテーマはこのあたりで。
2/5/2025, 2:00:37 PM