ぽつり、ぽつり。
樋の裂け目から滴り落ちる雫を眺め、胸の内でリズムを合わせる。降水確率30%とは思えないほど堂々たる降り。これは線状降水帯が到来した場合をMaxとしての数値なんだろうか。天気予報が何と言ったところで結果は変わらないのだから、責めるべきはそこじゃない。分かってはいるけれど、今日は先週から待ち焦がれていた日だってのに。朝から期待させておいてこれかよ、と今朝のお天気キャスターに文句の1つもぶつけたくなる。
「おーい、アップさぼんなよ」
振り向くと、体から湯気が立ってそうなトラと目が合った。
「終わったんだよ」
我ながら不機嫌丸出しだなと呆れる。でも、仕方ないよな。トラなら分かってくれるはず。
「速すぎね?考えろよ」
ホールの出窓に放り投げてあったタオルを拾い、トラはガシガシと顔を拭いた。ついでに頭も。切り過ぎたって恥ずかしそうにしてたけど、トラは短髪が似合う。
「あー、晴れねーかな」
恨めしく空を見上げる俺のケツをトラが蹴りつけた。特に意味なんかない。目の前にケツがあったから蹴っただけ。俺達のコミュニケーションスキルなんて、この程度だ。
「次の記録会は出れるんだろ?」
俺の反撃を身軽にかわしたトラが、ファイティングポーズをとってみせる。俺は自分のタオルで適当に攻撃を仕掛けながら、出るよ、と清々しく答えた。やっと言えた。ほんとにさ、こんなに長くなるなんてな。
「無理すんなよ。逆足切るとか笑えねーから」
トラはそう言って笑ったけど、俺がアキレス腱をぶっちぎってから今まで、トラは1度もそのことを笑わなかった。むしろちょっと泣いてた。
ズン、と腹の辺りが重くなる。それは、俺を笑った顔を思い出したからだ。あの日から俺は、あいつと口をきいてない。でも、もう逃げられない。委員会で遅れてくるらしいあいつは、そろそろこのホールに来るはずだ。
「あ……」
トラがファイティングポーズをやめた。すうっと俺の後ろに流れる視線。振り向かなくても分かる。
優しいトラは俺の肩をポンと叩いてから、あいつの方へ駆けていった。たぶんまたケツを蹴りに行ったんだろうけれど、その結果は分からない。ただじゃれ合う声だけが聞こえていた。
あの時、あの声で、あいつは俺を笑った。ギプスの足をぶら下げながら登校した俺を指さして、
「飛べない翼」
って笑ったんだ。
ふざけたつもりだったんだろ。「卜部」っていう俺の名字は小学生の時から「とべ」ってあだ名に変えられていて、高跳びにハマって以来、下の名前と合わせて「飛べ翼」って上手い具合に呼ばれてたから。
「飛べない翼」
背が高くて、練習しなくても俺と張るくらいに跳べるあいつが、俺を指さして爆笑したのが許せなかった。ぶっ飛んだ松葉杖はあいつの額にアザを作り、俺達は口をきかなくなった。
「とべっち、ほら見ろよ、捕獲成功ー」
チャンスをくれるトラ。トラに免じて……俺は、ゆっくり、振り向いた。
トラにガッチリ押さえ込まれたあいつ。俺と目が合うと、あいつはスッと口角を下げた。あれ?と違和感に眉が寄る。それが何なのか、数秒経って気がついた。背が高いと思っていたあいつが、トラとほとんど変わらない。ってことは、俺ともきっと……。追いついてたんだ、離れていたうちに。
そして瞬時に理解する。あの時、トラが「飛べない翼」って笑ったって、俺はキレたりしなかったはず。でも、あいつが心配そうな顔で手を差し伸べてきたって、俺は松葉杖を投げたかもしれない……。見上げなきゃいけないあいつのことが気に入らなかったんだ。「飛べない翼」は言い訳でしかなくて。
「……とべっち……」
あいつはトラを引き剥がし、俺の前までやって来た。やっぱり目線はほとんど同じ。
ごめん、を言い出せない俺達はしばらく向かい合ったままでいた。呆れるコミュニケーションスキル。でも、ここで終わりにしないとな。
「飛べない翼、じゃねーからな。もう。」
言えてしまったら、気恥ずかしさの混じる苦笑いが浮かんだ。あいつも同じ。
「……飛べ翼」
ごめんも言い訳もどうでもいい。どうしようもなく低いコミュニケーションスキル。俺達はさっきのトラとあいつみたいに組み合ってから、雨のグラウンドに駆け出していった。そして、あっという間にずぶ濡れにしていく雨に心から感謝しながら、互いのケツを狙って大騒ぎで転げ回った。
《飛べない翼》
11/11/2024, 12:42:23 PM