160.『君と出逢って』『明日世界が終わるなら……』『初恋の日』
メロスは激怒した。
必ず、この強引なお見合いを突っぱねることを決意した。
メロスには結婚の良さは分からぬ。
メロスは牧人であり、羊たちと共に楽しく暮らしてきた。
けれども、恋愛に対しては人一倍憧れていた。
今日の昼下がり、妹がメロスの家にやって来た。
メロスは、妹のことを大変可愛がっていたので、この事をとても喜んだ。
特に、妹が結婚してからは会う機会が減ったため、喜びもひとしおである。
急いで歓待の準備をしようとすると、妹はそれを手で制して言い放った。
「兄さんにはお見合いをしてもらいます」
メロスは目を見開いた。
「その後すぐに結婚してもらいます。
拒否権はありません」
メロスは、自分の顔が強張ることを止められなかった。
妹はかねてより、いつ結婚するのだ、とメロスに言っていた。
そのたびに、メロスは誤魔化していたが、ついに彼女は強硬手段に出たのである。
「結構だ。
間に合っている」
「結婚を誓った相手がいるのですか」
「私は羊飼いだ。
羊が恋人のようなものさ」
「それ、キモいからやめて……」
思いがけない反応に、メロスは驚きを禁じ得なかった。
かつて妹が幼かった頃、メロスは同じ事を言った事がある。
幼い妹は、素敵、と瞳を輝かせたものだが、大人になった彼女が向けるのは軽蔑の眼差しだ。
メロスはその目線にたじろぎ、居たたまれなくなって話題を変えることにした。
「なぜ、急にそんな事を言う?
今までは、急ぐことはない、と言ってくれたではないか」
「事情が変わりました」
「事情だと。
どういうことだ」
「明日、世界が終わるのです」
メロスは言葉を失った。
明日、世界が終わることよりも、なぜ自分の結婚が世界の滅亡が繋がるのか、まったく理解できなかったからだ。
困惑しているメロスの前に、妹は淡々と説明し始めた。
「今日、旅の占い師がこの村にやって来たのはご存じですか?」
「ああ、知っている。
だが、私はみすぼらしい羊飼いだ。
占ってもらう事などないから、会いには行かなかった」
「私は会いに行きました。
子供のことについて、相談しようと思ったのです」
「何と言われた?」
「私の顔を見るなり、占い師は驚いた顔をして叫びました。
今日中にお前の兄を結婚させろ。
でなければ、その男は世界を滅ぼすぞ、と」
「馬鹿馬鹿しい。
その占い師は偽物だ。
お前の兄ほど、世界の安寧を願っている者はいない」
「しかし、私の兄は義憤に駆られて王を殺そうとした事があります。
平和のために世界を滅ぼそうとしても、不思議はありません」
メロスは言い返せなかった。
たしかにメロスは義憤に駆られ、王を殺そうとしたことがある。
結局、王を殺さずじまいに終わったが、しかし正義のためにと、世界を滅ぼそうとするのは十分にありえた。
「妹よ、話は分かった。
占い師は信じないが、お前の懸念はもっともだ」
「ありがとうございます。
お相手に関しては心配いりません。
兄の好みは熟知していますので、相応しい相手を選んでおりますし、先方も結婚を了承しています」
「出まかせを言うではない。
私は常々、嘘をつくな、とお前に言ってきたはずだが」
「私は兄とずっと一緒にいました。
兄のことなら全て知っています。
信じられないなら、兄の初恋の日について話しましょうか」
「言ってみよ」
「あの日は雪が降っていましたね」
「分かった。
お前の話を信じよう」
メロスが観念したように頷くと、妹は満足そうに微笑んだ。
「では相手を待たせているので、すぐに会いに行きましょう。
それから結婚式です」
「いいや、妹よ、私は結婚はせぬ」
今度は妹が困惑する番だった。
何度か瞬きした後、彼女は尋ねた。
「なぜですか?」
「お見合いはしよう。
だが結婚は駄目だ。
結婚というのは、愛し合った二人が、長い時間をかけた末に辿りつく聖域なのだ。
会ってすぐに結婚など、お前は兄を軽薄な男にしたいのか」
メロスのあまりの純真な恋愛観に、妹は信じられない思いでいた。
妹は逡巡したあと、絞り出すような声で言った。
「事は一刻を争うのです」
「明日世界が終わるなら……
それが真実ならば、確かに私は結婚すべきだろう。
だが、どうしても明日世界が滅ぶ、というのは信じられない。
私はまだ、世界を滅ぼす準備を何一つしていないのだぞ。
今日中に、というのはさすがに性急ではないか」
「準備があれば出来る、みたいなことを言わないでください」
妹は、そう言って苦言を呈したが、反論することは出来なかった。
妹も、兄と同じことを考えていたからだ。
だが不安もある。
占い師の言う通り、本当に明日世界が滅んでしまうかもしれないからだ。
そうなっては後悔すらできない。
であれば、無理やりにでも結婚式を挙げ、兄に怒られる方が良いのではないか。
だが怒った兄が、その勢いで世界を滅ぼさないとも断言できない。
いったい何が正解なのか。
妹が激しい葛藤に思い悩んでいた、その時だ。
不意に家の扉が開く。
二人が目を向けたその先には、一人の可憐な女性が立っていた。
その女性は、不安な表情を浮かべ、今にも消え入りそうな声で言った。
「外で話は聞いていました。
メロス様は、命を賭して王に諌言することの出来る勇気のあるお方。
私のような退屈な女とは結婚なんてできませんよね。
この話、無かった事にしてください」
「待ってくれ」
メロスは叫んだ。
立ち去ろうとした女性が、驚いて肩を揺らす。
「そんな悲しい事を言わないでくれ。
貴女はとても魅力的だ。
その証拠に、君と出逢って、私の心はこれ以上なく晴れやかだ。
是非とも結婚していただきたい」
メロスは熱い思いを込めて言い切った後、はっとして妹の方を振り向いた。
妹は、全てを見透かしたような目で兄を見つめ、こう告げた。
「結婚式はどうしますか?」
メロスは、ひどく赤面した。
5/12/2026, 10:02:29 AM