NoName

Open App

「街」

「よう、生きてるか?」

ひょっこり現れたこの男は、かつて愛した男だ。私が飲めないのを知っているくせに一升瓶をかかえてやってきた。

白々しい。私が生きていることは日々更新しているSNSで見ているでしょう?こういう人のためにしているのだから。とりあえず、無事だけ知らせておかないと面倒だから。

それでも、ここに来た。
最寄り駅から1時間バスに揺られ、バス停を降りて歩くこと約40分。言ってくれれば車で迎えに行ったのに。そんなことを言える人なら別れてなかったかも知れない。かんじんなことを言わないのだ。この人は。言葉がほしい私と、言葉が足りない彼と、うまくいくはずがない。

かろうじて電波がつながるこの場所は、父の祖母の家。誰も引き取る人はおらず、父が亡くなるときにお前の好きにしろと残してくれた。集落には数十軒の家があるが、住んでいるのは十数軒だけだ。確かめたわけではないが、多分一番若い。

「生きてるよ」
「うん、よかった」
そう言って、いいとも言わないのに抱きしめられた。彼のまとう街の空気の匂いが鼻腔をくすぐる。懐かしいような気もするが、もういらない。

「君がいないとだめなんだ。一緒にいたい」

それ、もう少し早く言ってくれるわけにはいかなかった?もう遅いよ。街には戻らない。

「ここに来てもいい?捨ててきた。全部。残ったのは、これだけ」
一升瓶とリュック一つ。

さーっと風が吹き抜ける。
街の匂いを吹き飛ばしていく。

6/12/2024, 12:49:43 AM