「…私に何か御用かしら」
上級階級の身分、即ち貴族たちの社交パーティーの場で、フェリシアは不思議な視線を感じた。視線の先に居たのは一人の黒髪の騎士だった。いや、騎士と表現するのは些か正しくないかもしれない。この国では珍しい漆黒の髪を持つ彼は、オルレアン家の騎士には違いなかったが、そう表現するには彼の所作はあまりにも洗礼されている。
嫉妬、欲望、嫌悪
皇族を除いた最も強大な権力を持つアヴェーヌ家の長女として生を受けたその時から、フェリシアはあらゆる視線の的だった。普段なら視線の一つや二つなど気に止めることは無いのだか、この視線はどこか今までのものと違う気がしたのだ。
嫉妬も欲望も嫌悪も無ければ、憧憬も希望も尊敬も感じない。あるのはただ純粋な好意のようにフェリシアには思えた。
「え…?」
突然話しかれられた彼は、黒曜石のような瞳を少し見開いて驚いた。
「さっきから貴方の視線を感じていたのです。だから何か御用があるのではと思ったのですが…」
「それは申し訳ありません。無礼でした。どうやらレディーの美しさに見とれてしまったようです」
彼は彫刻のように整った顔で優しく微笑んでそう言った。微塵の悪意すらも感じさせない純粋な眼差しに、フェリシアの好奇心が動かされた。
「構いませんわ。私も貴方を見ていましたもの」
「それは、理由を聞いても構いませんか?」
微笑み返したフェリシアに彼は少し面食らったようだったが、直ぐに微笑みに戻った。
「ええ。私も貴方の容姿に見とれていましたわ」
これは本当のことだった。彼のようにあからさまに視線を飛ばすような真似はしないが、彼の容姿に目を惹かれていたのは確かだった。
「レディーがですか? それは光栄です」
「申し遅れてしまいましたね。フェリシア・アヴェーヌですわ」
「アベル・オルレアンです」
お互いに、社交界の場では危ういほどの純粋な気持ちを共有していると、ホールに流れる曲か途切れ、別の曲が流れた。
「ダンスの時間ですね」
そう言って彼は手を差し出した。
「フェリシア嬢。宜しければ私と踊ってくださいませんか?」
「ええ、喜んで」
フェリシアはそっとその手を取った。
何かが変わる。
そんな予感を胸に閉じ込めて。
10/5/2023, 6:16:44 AM