徒然

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 その日は休日だった。普段なら仕事をしているのだが、先日代打で入った休日出勤の代わりに出来た振替休日。平日ど真ん中の水曜日。何処かへ行こうにも明日はまた仕事。遠出も出来やしないし、部屋の片付けでもしようかなんて考えていた朝だった。
 テレビの横に置かれたデジタル時計が10時12分になった頃、家のチャイムが鳴った。荷物が届くような事は無い筈だし、勧誘か何かだろうか。だったら居留守を使おうと思いながら、インターホンを確認する。画面に映った意外な人物に驚き、俺は慌てて玄関に向かった。
 
「よぉ。元気か?」

 扉を開けると、聞き慣れた声が飛び込んでくる。久しく会って無かったその顔が目の前にある事に俺は驚きが隠せない。
「山﨑……久しぶりだな」
「ヤマサキな。お前変わんねーな」
「お前もな」
 俺は目の前に現れた彼――山﨑透をとりあえず部屋の中へと招いた。彼とは高校時代同じ寮の部屋で過ごした仲だった。お互いその後進学した大学が一緒だったのでよく会っていたが、就職後は中々会えず、最後に会ったのは1年前…友人の結婚式だったと思う。

「んだよ、相変わらず散らかってんねぇ〜。この様子じゃ片付けてくれる彼女も居ないってか」
「余計なお世話だよ。これから片付けるつもりだったんだ」
「へぇへぇ。お前はそう言って片付けた試し無いだろ」
「うるせ。適当に座ってくれよ」
「悪いね。あ、これお土産」

 部屋を見回しながら山崎は物をどかしてソファーに座る。来るのがわかっていたなら昨晩のうちに部屋を片付けたんだが、どうしてこいつはいつも急に来るのだろうか。
 大学時代もそうだった。レポートが終わらないと言い夜中に押し掛けて来たと思ったら、ある日は早朝5時に出掛けるぞ!と部屋まで入って来た。
 お互い何があるかわからないと合鍵を渡していたのも悪いのだが、時間帯やら予定やらを確認して貰いたい。
 しかし何故だか、彼が来る時は必ず俺は暇なのだ。何か予定が入っていても、キャンセルになってしまった日なんかに限ってやってくる。
 
「んで、ヤマは何しに来たんだよ。相変わらず急に押し掛けてくるよな。俺が居なかったらどうするつもりだったんだ?」
「でも、居ただろ?オレはお前が居るのをわかってて来てるんだよ」
「お前って昔からそうだよな。なんで俺が暇だってわからんだ?」
「特殊能力ってやつかな」
 そう言ってダサい決めポーズでドヤ顔をする。山﨑のこういうおちゃらけた所も相変わらずらしい。そしてセンスが微妙なのも相変わらずな様だ。
 
「急に来といてなんだけどさ、時間が無いんだわ。ちょっとオレに付き合ってくれよ」
「本当になんなんだよ。相変わらず忙し無い奴だな」
「たまには良いだろ?」
「仕方ないな。付き合ってやるよ」
「そう来なくっちゃ」

 山﨑はいつも俺を引っ張ってくれた。何処へ行くのも何をするのも、山﨑が俺を誘い俺は後ろをついていく。多少強引な事もあったが、その強引さが心地良かった。
 俺は昔から積極的に何かをする方では無いし、自分の意思で決める事が苦手だ。何をするのも、始める為の一歩が中々踏み出せない。踏み出す位ならやるなくても良いとすら思うタチだった。
 そんな俺とは反対に山﨑はなんでも突っ込んでいく、ガキ大将のような男だった。
 何をするにも一番。みんなの先頭に立って引っ張っていく。気になる事はすぐにやってみるし、思い立ったらすぐ行動に移す。リーダーシップに長けていて、いつも周りには人が集まっていた。
 明るくて、ユーモアがあって面白い。勉強はあまり得意な方では無かったが、運動は出来た。女子にはモテないが男子にはモテる。同性、異性問わず、友達にしたいタイプの人間である事は間違い無かった。
 そんな山﨑の性格が大人になっても変わってない事に嬉しくなりながらも、やはり急に押し掛けて来た事が気になった。
 大体今日はたまたま振替休日で家に居たから良いものの、普段なら仕事をしているのだ。急に来られた所で留守にしている。

「ヤマ、なんで今日俺が家に居るってわかったんだ?」
「俺エスパーだから」
「……じゃあ、なんで急に家に来たんだ」
「お前に会いたくなったからかな」
「…………会話にならねぇ……」
「ははは、相変わらず細かい事を気にするよな。んな事どうだって良いだろ。そのうちわかるんだから。それより支度出来たならさっさと行こうぜ」

 山﨑は立ち上がって玄関に向かうと、靴を履いて外へと出ていった。こういうせっかちな所も変わってないらしい。

「待てよ、すぐ行くから」

 俺も慌ててバッグに荷物を置いて詰め、山﨑の後をついていった。

 ***

「そんなに大荷物……何入ってるんだ?」

 電車に揺られながら、山﨑が、不思議そうに俺のバッグを見つめている。心配症は昔からで、つい荷物が増えてしまうのだ。
 
「何って大したものは入ってないよ。財布だろ、携帯だろ、タオル、リップ、日焼け止め、パンツ、靴下、エコバッグ、ゴミ袋、ティッシュ……それから……」
 「待て待て、財布、携帯、タオルまではわかるが、パンツと靴下ってなんだよ。要らないだろ」
「急な雨で濡れるかもしれないだろ?」
「どれだけの雨にうたれるつもりなんだ?大体折り畳み傘だって持ってるんだろ?」
「あぁ、もちろん」
 俺はバッグから取り出した折り畳み傘を山﨑に見せる。コンパクトだがちゃんと大きく広がる折り畳み傘だ。これは普段からバッグに必ず入れている。
「相変わらずの心配症だな。今日は晴れ予報だぜ?」
「何が起こるかわからないのが夏だろう」
「準備が良いと言えば聞こえは良いが……。いや、お前の場合いつ災害にあっても大丈夫そうだな」
「あぁ。非常食セットも持ってるぞ」
「本当に準備が良いよ、お前は。俺もお前位準備が良ければな……」
「何か言ったか?」
「いや。お前はそのままで良いぞって話だよ」
 
 電車で揺られる事2時間。他愛無い話や昔話に花を咲かせていると、2時間という時間はあっという間だった。
 着いたのは神奈川県藤沢市江ノ島。平日ど真ん中という事で、流石の観光地も空いている。

「よし。じゃあ、海鮮食いに行くぞ!」
「その為にここまで来たのか?」
「シラスの時期だから美味いんだよ。オレは死ぬ前にシラス食っとかなきゃ、死んでも死にきれねぇと思ってさ」
「お前ってそんなにシラス好きだったか?」

 立派な門構えの駅を出て真っ直ぐ進む。海の上の橋を渡ると、海鮮の炭焼きが良い匂いを漂わせてきた。
 
「イカ焼きもあるぞ。浜焼きも美味そうじゃん。何処の店入るんだ?」

 俺はこの辺りの海鮮に入ると思ったのだが、山﨑は一行に足を止める気配がない。

「そんな所じゃ食べねーよ。美味い店があるんだ。ほら、行くぞ!ここまで来たんだから、登らなきゃ損だぜ」
「はぁ!?まじで言ってんのか?」

 そう言うとさっさと山﨑は歩き出した。鳥居に向かう坂道を登り、段々に折れ曲がる階段を登っていく。途中現れた神社でお参りをしたかと思うと、またすぐ上へと登っていった。

「ストップ……休憩……。一旦休憩……」

 俺は暑さと慣れない運動で汗が止まらず、上がった息も整わないというのに、前を行く山﨑は息が上がるどころか汗一つ掻いていない。
 普段から運動をしているのかもしれないが、それにしたって結構な距離を登ってきたというのに、おかしなものだ。

「ったく……情け無いなぁ。本番はこっからだぞ」
「本番が……ここからだ……?ここ、もう頂上だろ?」

 俺は目の前に見える灯台の方を見る。この先に行けば蝋燭灯台の展望台がある所だ。確かにまだ道は続いているが、奥は確か恋人の聖地と呼ばれるカップルのスポットとその更に奥に岩で出来た洞窟がある位の筈。
 俺たち2人で恋人の聖地に行った所でどうしようもないし、岩の洞窟に行くなら最初から船に乗っていた筈だ。だったらこの先何処まで行くつもりなのか。

「何言ってんだよ。まだ海鮮食ってないだろ?店があるのはこの先」
「げっ……まじかよ。観光で腹減らしに登った訳じゃねーの?」
「当たり前だろ。まぁ良いや、少しそこで休んでろよ。たこせん買ってきてやるから、分けよーぜ」

 そう言って、またも俺を放置し山﨑はさっさとたこせんの列に並んでいった。
 俺は近くの木陰にあったベンチに腰掛け、汗を拭う。途中自販機で買ったお茶はすっかりぬるくなっていた。

「お待たせ」

 半分に割られたたこせんとラムネの瓶を持って山﨑が戻ってきた。たこせんは早くも山﨑の口に入っている。

「食うのが早ぇよ」
「これはあったかいうちに食うのが良いんだよ」

 薄く伸びたたこを味わいながら、冷えたラムネを流し込む。しゅわしゅわの炭酸が喉の奥を通っていく感覚が気持ち良い。甘ったるさも今は丁度良かった。

「江ノ島結構来るのか?慣れてるけど」
「来ないよ。忘れたのか?昔お前と2人で来たの」
「え?あぁ……大学の時のか?そういや来たっけなぁ」
「お前の恋愛成就願いに来ただろ〜。結局告れずに、相手の子彼氏作っちゃったけどさ」
「良いんだよ、それは……」
「男ばっかの寂しい青春だったぜ。今思えばそれはそれで楽しかったけどな」
「まぁな」

 空を見つめる山﨑の横顔が何処か切なく見えたのは気のせいだろうか。
 俺は残りのラムネを飲み干し、立ち上がった。

「急ぐんだろ?昼になっちまうぜ」
「なんだ?たこせん食ったらやる気出たんだろ」
「そんなとこだ。行くぞ」

 空き瓶を店先に返し、俺たちは更に奥へと向かっていった。なんとなくラムネについていたビー玉は回収しておいた。
 そこから更に歩いて30分は経っただろうか。目的の店まで来たのに、山﨑は入ろうとしなかった。

「この店なんだろ?平日だから、まだそんなに混んでないぞ」
「んーそうなんだけどさ。ちょっと先に寄りたい所あるから、付き合えよ」
「お前……シラス食いに来たんじゃ無かったのか?」
「まぁ、良いじゃねぇか」

 山﨑はいつも多くを語らない人間だったが、今日はいつもにも増して口籠っていた。何か大事なことを伝えなくてはならないのに、それを後回しにしている様な。しかし俺はそれを聞き出す事はせず、山﨑が言い出すのを待っていたのだ。

 何度か登って降ってを繰り返し、最後長めの階段を降りた先に、大きな岩の洞窟が見えた。紅い橋がかかっていて、これを渡ると洞窟に行ける。
 手前にもゴロゴロした大きな岩が剥き出しになっており、浅瀬の辺りで水浴びをする子供の姿も見られた。

「良い景色だろ。夕焼けが綺麗らしいんだ」

 海の奥に見える江ノ島の町を眺めながら、山﨑が呟く。

「今は昼間だし夏だから陽も長い。夕焼け見たかったんなら、もっと遅く来ないと」
「時間無かったからさ。昼間で良いさ、お前とこの景色見れたなら」
「んだよ、気色悪いなぁ」
「へへっ。良いだろ、今日くらい」
 
 ポケットの中の携帯電話が鳴る。画面を見ると、また懐かしい名前が表示されていた。
 高校時代同じクラスだった田宮だ。山﨑と同様大学も一緒で、今でもたまに連絡を取り合う仲である。

「時間切れか……」
「何が?」

 俺が聞き返すが、山﨑は何も返さない。ただ悲しそうな、寂しそうな笑顔で俺に笑い掛けるだけだった。

「出ろよ、電話。大事な用かもしれないぜ」
「あ、あぁ」

 俺は山﨑に言われるがまま、電話を取った。

 ***

「もしもし、田宮か?どうしたこんな時間に電話なんて」
「山下……。今、会社か……?」
 いつもより低い田宮の声。所々鼻を啜る音が聞こえる。
「いや。出先だけど、どうかしたのか?」
「そうか。タイミング悪かったな。悪いがこっちも急ぎだから…。落ち着いて聞いてくれるか」
「なんだよ、仰々しな」
「…………ズビッ……はぁ……」
 電話越しからは鼻を啜る音と深呼吸の声。明らかにいつもとは違うその様子に、俺の脈が上がる。一体何を切り出そうとしているんだ。
「……ヤマが………山﨑が……死んだ」
「………………は?」
 俺の思考が一瞬止まった。何を言っているんだ、こいつは。だって山﨑はここに居る。今、ここに居て……俺はずっと山﨑と一緒に江ノ島にきて……。

 振り向くと、泣きそうな笑顔で山﨑が俺を見ていた。そうか、お前はちゃんとわかっていたのか。わかっていて俺のところに来てくれたのか……?

「驚くのもわかる。俺も今聞いたばかりで混乱してるんだ。数日前…九州でデカい台風が直撃しただろ?あの時出張で九州に居たらしく、その時起きた土砂崩れに巻き込まれたらしい。子供を庇う形で見つかったって。幸い子供は無事だったが、ヤマは発見直後流れてきた別の土砂に埋もれて………結局……うっ……ぐすっ……」
「もういい……ありがとう、田宮。また連絡する」

 最後まで何とも山﨑らしい。ガキ大将で子供が大好きで弱きものには優しかった。クラスで浮いている子がいれば声を掛けるし、嫌な先輩が居れば乗り込んでいった。そういう優しさは昔から変わってない。
 俺は電話を切り、目の前で消え掛かっている山﨑に近づいた。

「俺に会いに来てくれたのか?」
「何言ってんだよ。俺は海鮮食いにきただけだって」
「海鮮食うだけなら下で良かっただろ」
「上にある店が良かったんだよ」

 こういう時でも減らず口だ。あぁ、でももう……一緒に食べられないんだな。

「もっと……お前と一緒に居たかった。結婚式だって呼びたかったし、お前にスピーチ頼むの夢だったんだぞ」
「お前相手居ねーじゃん」
「これから作るんだよ!旅行だって、夕焼けだって……本当はお前と……一緒に……」

 溢れ出す涙が止まらなかった。目の前に居るのに、まだ触れられるのに、もうこの世に居ないなんて信じられなかった。だけど頭ではちゃんと理解しているから、だから涙が止まらないのだ。
 視界がボヤける。薄くなる山﨑の身体を、表情を最後まで目に焼き付けたいのに、ちゃんと見られないのが悔しい。
 
「俺は最後にお前に会いに来れて良かったぜ。また2人で来たかったからさ、江ノ島」
「お前、海好きだったもんな」
「あぁ……シラスもな」
「シラスはお前の代わりに食べといてやるよ」
「頼むぜ」
「おぅ。だから……もう大丈夫だ。安らかに眠ってくれよ」

 涙を堪え、俺は山﨑に笑い掛けた。大丈夫、俺は大丈夫だから、お前は自分の逝くべき所へ行ってくれ。俺はまだちゃんとここに居るから。
 
「俺は先に逝くけど、お前はまだ来るなよ。俺が天国で入国拒否してやるから」
「お前にそんな権限ねぇだろ」
「うるせ」

 眩しい日差しが山﨑の身体をキラキラと反射させていく。もう殆ど表情がわからない位に、身体は透けてしまっていた。

「お前に出逢えて良かったよ。ありがとうな、相棒」
「俺もだ……。もう少し待っててくれよ、相棒」

 その言葉を最後に、山﨑の姿は見えなくなった。最後の表情は見えなかったが、笑っていたと思いたい。

 ***

 涙を拭いて俺は1人来た道を戻った。
 途中寄る予定だったお店でしらす丼を食べた。しらす丼は塩の味が効いていて、ほんのりしょっぱい味がした。

 階段が続く登り道、1人息を上げながら山を登り降り海沿いを歩く。やっと着いた鳥居を過ぎて、炭火の匂いを嗅ぎながら帰路へと着いた。
 帰って来た頃にはすっかり陽は暮れ、真っ暗な部屋に、ゴミと荷物が散乱している。
 部屋の灯りをつけ、机の上に置かれたお土産を手に取る。これは確か、山﨑が持って来たものだ。包装紙には九州名物などと書かれている。

「本当に九州から来たんだな……。土産まで律儀に持って来やがって」

 俺はそれを台所に置き、ゴミ袋を持って戻ってきた。散らかった部屋を片付けるのだ。
 相棒にまだ来るなと言われてしまったから、まだそっちには行けそうにないな。

 まず手に取ったのは、机の上に置いていた遺書だ。俺はそれを破って、ゴミ袋の中へと捨てた。


#シラス丼を食べに 【突然の君の訪問】

8/29/2023, 5:43:39 AM