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112.『失われた響き』『君と紡ぐ物語』『凍てつく星空』

 プロの漫画家になって、初めて担当編集者さんに会った時の事を、今でも鮮明に覚えている。

「初めまして、ヨミ先生。
 君の担当になった竜造寺です」
 そう言った彼は、名前に似合わずキラキラしたオーラを纏う爽やかな人だった。
 例えるなら、少女漫画からそのまま抜け出してきたような王子様。
 女性なら、誰もが彼に夢中になるくらい容姿が整っていた。
 漫画にしか興味のない私ですら、胸がときめいたのだから相当なものである。

 けれど少し怖い印象も受けた。
 その笑顔は綺麗だけど、あまりに完璧すぎて、まるで凍てつく星空のよう。
 綺麗だけど恐い。
 それが第一印象だ。

「漫画家の君と、担当編集のボク。
 君と紡ぐ物語で、世界をあっと言わせよう」

 でも、それ以上に思ったのが、『この人とならすごい漫画が描けそうだ』という確信。
 歯の浮くような気障なセリフも、彼が言うとさまになる。
 初めての連載に不安だった私も、この人ならばと武者震いがする。
 これなら○ンピース超えも夢ではない。
 本気でそう思った。

 だけど――


「打ち切りになりました……」
 現実は非情だ。
 私の渾身の力作も、世間に出ればただの凡作。
 ごく少数の熱心なファンに支えられ、何冊か単行本を出すことができたが、実情は常に打ち切り候補。
 人気は下から数えたほうが早かった。

 それは主に、私の力量不足によるものだ。
 絵は上手い方だが、驚くほど登場人物に深みがない。
 熱心なファンですら苦言を呈するほど。
 それは私のコミュ障に由来するもので、これまで人づきあいをサボっていたせいでもある。

 『○ンピース超えも夢ではない』。
 いかにそれが無謀な夢だったか思い知る。
 アンケートの結果を聞くたびに、身の程を思い知らされる。
 思い上がりもいい所だ。

「私の力不足です」
 だが私の担当編集はそうは思わなかったようだ。
 彼は悲痛な顔で私を見る。

「漫画の打ち切りは担当の責任!
 ならば、ボクは責任を取らなければいけません」
 そう言うや否や、彼はポケットからナイフを取り出した。 

「かくなる上は、エンコを詰めて――」
「やめて!」
 咄嗟に飛びついて、指を切ろうとするのを阻止する。

「離して下さい。
 これでは責任が取れません!」
「それは担当の責任の取り方ではありません。
 ヤクザの作法です!!」

 そう私の担当編集者は、まさかの「こわーい」人種の人。
 元ヤクザなのだ。

 初対面で怖いと思ったが、本当に怖い人だったとは……
 こんな方向で怖いとは思わなんだよ。
 
「竜造寺さんは私の担当ですよね。
 なら打ち切りの悔しさをバネに、改めて面白い漫画を世に出すことこそが、担当の責任の取り方ではありませんか?」
「それは……」

 (これ、どっちが担当だか分からないな)
 私は心の中でそう思いながら、彼を宥める。
 なんで自分が言ってほしい事を、自分で言っているのか分からないが、ともかく指を詰めさせないよう説得する。

「今回の事は残念でしたが、龍造寺さんが指を詰めても何の意味もありません。
 それよりも次回作の話をしましょう。
 私、良いアイディアがあるんですよ」
 嘘である。
 アイディアなんて無いし、なんなら漫画家を辞めようとすら思っていた。

 けど、それを言ったら彼が物理的に腹を切りかねない。
 だから私は、口からデマカセを言って、彼の蛮行を止めようとした。

「そう…… ですね……」
 功を奏したのか、ナイフを持った手から力が抜ける。
 私はすぐさまナイフを奪い取り、机の上に置く。
 とりあえずこれで指を詰めることは無い。

「……分かりました。
 担当として、私は責任を取ります」
 そう言って、彼は自分の頬を叩く。
 そして気持ちを切り替えたのか、思いつめていた表情はどこにもなかった。

「ヨミ先生がそう言うと思って、既に枠を確保してあります。
 次回作も頑張りましょう」
 ニコっと彼は笑う。

 人気の無い漫画家の連載枠の確保。
 およそ信じがたい事実だが、彼の事だ、きっと編集長を脅したのだろう。
 編集長、胃に穴が開かなければいいけれど。

「それで?
 どんなアイディアがあるのでしょう」
 ギクリと私の肩が跳ねる。
 さきほど蛮行を止めるために、『アイディアがある』とは言ったが、残念ながらそんなものはない。
 けれど今さらないとも言えず、私は思いつくままでっち上げる。

「えーと、今作の評判の悪いところは登場人物に深みがない事にあります。
 そこで次は、魅力的な登場人物を作ってから漫画を描こうかと思っています」
「なるほど。
 面白い漫画には、面白いキャラが必要不可欠ですからね。
 それで具体的には?」
「えーっと」
 もう少し掘り下げてくれてもいいのに。
 矢継ぎ早に繰り出される質問に、私は窮地に立たされる。

「魅力的な登場人物。
 それは……」
「それは……?」

 もはや後は無い。
 なるようになれと、私は竜造寺さんを指さした。
「元ヤクザが、カタギになろうとしてトラブルを起こす漫画『仁義なきコメディ』を描こうと思います」


 ◇


「ヨミ先生!
 新しい漫画の出だしは上々ですよ。
 SNSでも話題になってます」
 竜造寺さんの言葉に、私はほっと胸を撫でおろす。
 嘘を誤魔化すために勢いだけで描いた漫画なので、色々複雑な思いはある。
 だが書いた漫画に人気が出たことは素直に嬉しかった。

「シリアスとのバランスも完璧です。
 ヤクザの世界に伝わる『失われた響き』とはなんなのか?
 その正体の考察で大賑わいですよ」
 適当に頭に浮かんだフレーズがそこまで受けるとは……
 まったく正体を考えてないけど、真面目に考えておかないといけないな。
 私がこれからの展開で思い悩んでいると、竜造寺さんが神妙な顔で声をかけてきた。

「ところでヨミ先生。
 ボクは、この漫画の楽しめそうにありません」
「というと?」
「なまじヤクザの世界を知っているせいで、いろいろ目に付くんですよね……」
「あー、たまに聞く話ですね。
 専門知識があると、どうしても細かい所が気になってしまうとか……」
「はい。
 ですから、やたらエンコを詰めたがるヤクザがどうしても滑稽に映りまして……
 フィクションだと思っていても、ありえないです」
「……もしかして気づいてない?」
「何の事です?」
「いや、分からないんならいいんです」
 急に話を切り上げた私を、竜造寺さんは訝しむような目で見つめるが気づかないことにした。
 下手に知られて、指を詰められたらたまったものではないからだ。
 私はそのまま話を終わたかったのだが、彼にはまだ言いたいことがあったらしく、そのまま言葉を続けた。

「それはそうと、取材のために、ボクは先生に知り合いのヤクザの話をしましたよね」
「はい、その節はとても助かりました。
 それが何か?」
「よく考えたら、かつての仲間の事を話すのは、義理人情に反しているのではと思いまして……
 まるで仲間を売っているみたいじゃないですか」
「それで?」
「責任を取って、エンコを詰めようと思います」
「やめんか!」

12/6/2025, 2:11:19 AM