「届かない……」
真夜中の学校は怖いというより寒い。人気がないし電気も最低限しかついていない。暖房なんて入っているわけがない。
「俺のそばを離れるなよ」
まるで姫を守る無骨なナイトのようなセリフを吐いて、顧問は顔を赤くした。
「いや、危ないから…」
私たちのからかうような視線にゴニョゴニョと言い訳をする。
一年に一度の天文部の合宿。
部室と呼んでいる物置から望遠鏡を引っ張り出してきて、特別に開けられた屋上に設置し夜空を観察する。
私はこの合宿にロマンチックな期待を抱いていた。
「あ、レンズが足りないや」
望遠鏡を組み立てていた先輩がつぶやいた。
私は大袈裟に「え!?」と反応してケースを覗き込んだ。不自然な動きなのは理解しつつも先輩に肌を近づける。望遠鏡は2つある。そのうちの1つのレンズケースを部室に忘れたらしい。
「俺取ってくるよ」
先輩が立ち上がると少しだけ気温が下がった。
「危ないんで私も行きます!」
私は懐中電灯を取ると先輩の後を追いかけた。
顧問はもう一つの望遠鏡を組み立てていてこちらを見ていなかった。
ちょうどいい。2人きりになれるチャンスだ。
可愛い女の子に生まれることはできなかった。顔も性格も。こんな夜の学校で「キャー!怖い!」って先輩の腕に絡みつけたらどんなに良かっただろう。私にはその勇気も可愛げもない。
私たちは無言で階段を降りていった。
先輩は何も話さない。もしかしたら迷惑だったのかもしれないな。私と一緒にいたくないのかも。
暗いのをいいことにちらっと先輩を見上げる。
入学式の部活紹介で私は先輩に一目惚れをした。
理知的で鋭い目。それを隠すような分厚いメガネと重い前髪。ヒョロリと高い身長と長い足。寡黙そうでありながらどこか柔らかさを感じる話し方。
その姿を見て私は天文部に入ることを決めた。
しかし天文部の活動は少ない。先輩と仲良くなれるチャンスはなかなか来なかった。
だからこの合宿をずっと楽しみにしていたのだ。
「あれえ、ないねえ」
先輩は懐中電灯を片手に棚を開けた。独り言のように囁くもんだから私は反応していいのか分からなかった。とりあえず私も辺りを見回す。
しかし電気も点かないし、何より天文部以外の備品も多くあるので見つかる気がしない。先輩は無言で辺りを探し続けている。私は先輩の懐中電灯を見つめた。
その懐中電灯がこちらを向くことはない。すぐそばにいるのに先輩の視界には私は入らない。もっと私が可愛ければ。スタイルが良ければ。少しでもこちらを見てくれたんじゃないか。
急に涙が込み上げそうになって天井を見上げた。すると黒いケースが棚の端から顔を出している。あった。
私は手を伸ばした。届かない。息を詰めて必死に手を伸ばす。すると後ろからひょいと手が伸びてきてケースを取り出した。
「あ、これだあ。ありがとねえ」
先輩の目がこちらを向いた。
私の懐中電灯が先輩を、先輩の懐中電灯が私を照らしす。
届かないけど見ていたい。そんな星のような瞳だった。
5/9/2025, 4:09:52 PM