初夕 紺

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物憂げな空

 冷えた風が吹いている。向こうに見える木々の隙間から、笛の鳴るような音が聞こえた。防寒具を着込んでいても、冷風は外気に晒された僕の柔い頬をチクチクと刺してくる。やっぱり、今日はバルコニーでサボるのは止めにして、室内で隠れられる場所を探そうか。
 手すりに上半身をうつ伏せて、ぼんやりと灰色の空を眺めていた視線を、ふと足元に寄せる。そこに、いつの間にやら現れたモコモコした白い塊が立っていた。よくよく見れば、それは僕が今着ているものと同じ、学校から支給された防寒用のジャケットのようだ。
「冷えるね……」
 ジャケットが喋る。サボり仲間のシャルルの声に似ていた。彼は年齢にしても身長にしても小さいし、フードを深く被られると、僕の目には白い塊にしか見えない。だから、これがジャケットのお化けか、シャルルなのかは未だ謎のままだ。
「今日の空は不機嫌みたい。場所を移そうかと考えてたところだよ」
「オトは空が不機嫌な理由、知ってる?」
 じっと外を見つめたまま、彼は僕の話を遮って、お得意の即興で作ったクイズを投げ掛けてきた。シャルルはこういうとき、わからないと答えるか、適当な答えを出すまで諦めてくれない。僕は、シャルルの知っている丁度いいサボり場所を教えてもらおうと思っていたのだけど。小さな子供にとって冷たい風なんてものは、取るに足らない些細なことなのかもしれない。 
 適当にわからないと答えると、風に紛れながらだろうねと得意げな笑い声が掠れて聞こえた。
「正解はぁ、オトがお仕事をサボってるから、だよ」
「それは君も……、」
 今までで一番強く鳴った風が僕の言葉を遮った。強風は唸りを上げ、僕たちを吹き飛ばそうとしてくる。僕は必死に手すりにしがみつかなければ立つことも出来なかった。ちらりと盗み見たシャルルのフードはすでに吹き飛ばされている。彼は小さな身体を縮こませ、可哀想に両耳を手で塞いでいた。
 数秒後、強い風がひとまずやんだのを感じ、そっと手すりから手を離した。シャルルの方を見れば、彼の髪はひどい形をしていた。僕はそれをからかう言葉を既のところで飲み込む。だって、乱れた前髪の下に隠れた大きな瞳が、ポロポロと涙を零しているのに気づいたから。
「どうしたの」
 驚いて、彼のそばにしゃがんでその涙を拭ってやる。小さな子供はしばらく決まり悪そうに黙って、目線を少し彷徨わせてから告白するように呟いた。
「空が……、おれを怒ったのかと思った」


オト(10) シャルル(6)

2/25/2024, 5:40:40 PM