sairo

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木は全てを見ていた。

子供たちの笑い声が響く。
やんちゃ盛りの子が三人、何かを手に駆けてきた。それは綺麗な刺繡を施された、白のハンカチだというのが見て取れた。
明らかに女物のハンカチ。彼らの持ち物でないことは一目瞭然だった。
不意に風が吹き抜け、子供たちの手からハンカチを攫って行く。木の枝にかかるそれを子供たちはしばらく呆然として見ていたが、やがて一人、また一人とその場を去って行ってしまった。背後から聞こえる、泣きながら彼らを呼ぶ声が近づいてくることに気づいて、慌てて逃げ出したのかもしれない。
少しして、今度は白のワンピースを着た少女が現れた。泣き腫らした赤い目をして誰かを追いかけてきたらしいが、限界がきてしまったのだろう。木の根元に立ち尽くし泣き始めてしまった。
その時、風が吹いて木の葉を揺らした。その音に少女は顔を上げ、視線が木の枝に引っかかるハンカチに注がれる。
息を呑む音。見つめる少女の目から、はらはらと大粒の涙が溢れ落ちていく。
木の幹に手を添え、背伸びをしながら手を伸ばすが、到底届くはずもない。けれども諦めきれずに手を伸ばし続けていると、一人の少年が通りがかった。

「どうしたの?」

木に手を伸ばす少女の様子を見て、不思議そうに問いかける。近づきながら手を伸ばす方へと視線を向け、ハンカチに気づいてあぁ、と声を上げた。

「風に飛ばされちゃったんだね。それなら取ってきてあげるよ」

そう言って少年は木に手や足をかけ、器用に上り始めていく。突然のことに驚き見守る少女の前で枝まで辿り着きハンカチを取ると、少女に微笑んでハンカチを振ってみせてから、するすると木を降り始めた。

「はいどうぞ」

笑顔で差し出されたハンカチを、少女は戸惑いながら受け取った。ハンカチを胸に抱き、ようやく今起こったことの理解が追い付いたのか、ふわりと笑みを浮かべた。

「ありがとう」
「どういたしまして。じゃ、僕は行くね」

少女のお礼の言葉に少年は笑って答え、引き留める間もなく去って行ってしまう。

「あ……」

その背が見えなくなるまで、少女はいつまでも見つめていた。



あれから数年が経ったある日。
木の根元で、とある少年が少女へと告白をしていた。

「ずっと前から好きだった。好きの伝え方が分からなくて、ガキの頃はいじわるをしていたけど、好きだったんだ」

真剣な表情の少年は、数年前に白いハンカチを手に笑っていた子供たちの内の一人だった。
少女はかつての少年の行為を責める様子もなく、ただ静かに少年の姿を見つめている。
やがて小さく息を吸って、少女は少年へと答えを返した。

「――ごめんなさい」

静かな声だった。それは少年の想いに対しての否定や拒絶の言葉ではなく、けれど想いを受け入れられないという事実を告げる声だった。

「私も、ずっと好きな人がいるの」
「そっか……」

くしゃりと顔を歪めて、それでも少年は笑った。泣くのを必死に耐えた不格好な笑顔で、震える声で、ありがとうと一言呟く。
そっと風が吹き抜けた。少女の髪を揺らし、耐えきれずに一筋溢れ落ちてしまった滴を拭い、過ぎていく。

「好きな人と、結ばれるといいな」

ぽつりと落ちた言葉に、少女はふわりと微笑みを浮かべた。小さく頷いて、ばいばいと呟いてから去っていく。
その少女の背を、いつまでも少年は見つめ続けていた。



そしてまた数年が経った。
一組の男女が、木の下で見つめ合っている。

「俺と結婚してほしい」

目を見つめ告げる青年に、女性は頬を赤く染めながら頷いた。
途端に笑顔になった青年は、女性を抱き寄せ安堵の吐息を漏らす。青年の腕が微かに震えていることに気づき、女性はくすくすと笑い声をあげた。

「笑うなよ。すごく緊張したんだから」
「あなたでも、緊張することがあるんだなって思ったらおかしくなったの」

青年の腕の中で、少女は木を見上げ目を細める。昔を懐かしむように枝を見つめ、あのね、と囁いた。

「覚えていないかもしれないけど、木の枝に引っかかってるハンカチを取ってくれた時から好きだったの。初恋だったのよ」
「もちろん覚えているよ。ハンカチを胸に抱いて笑う君がとっても綺麗で、恥ずかしくなって逃げ出したんだ。それが俺の初恋だった」

もう一度出会うことができてよかったと、青年は笑う。探したのよと、女性は秘密を打ち明けるように笑い、青年の胸に凭れた。

「背中を押してくれた人がいたから。だから諦めずにいられたの」
「なら、感謝しないとな。背中を押してくれた誰かに」

微笑み合う二人の間を、風が擦り抜けていく。木の葉を揺らし、一枚の葉を落とした。
青年の頭に降ったそれに、女性は手を伸ばす。その手を青年に取られ、間近で見つめ合う二人の距離がやがて零になっていくのを、木だけが静かに見守っていた。





寄り添い去っていく二人の背を見送りながら、木は回想する。
少女に別れを告げ去っていった少年の赤い顔。その背を見つめる少女の甘い溜息。
告白を断った少女の決意の眼差し。それを見送るかつての子供の嗚咽。
そして幸せそうな二人の笑顔。

全てを見てきた。
初恋が芽生えた日も、初恋が散った日も。そして初恋が実った日も、木はここに佇み見守っていた。

初恋が関わるそのどれもが、同じ日で起こったことを。
木だけが知っている。




20260507 『初恋の日』

5/8/2026, 9:43:18 PM