今日のテーマ
《1年前》
1年と少し前、わたし達の関係は今とは全く違うものだった。
単なるクラスメイトというだけで、挨拶など必要最低限の言葉を交わすのみ。
好意はもちろん嫌悪するほどの関心もない。
そんな、ごく希薄な関係。
それが形を変えたのは、今からちょうど1年前のこと。
その日、わたしはたまたま出席番号で割り当てられた片づけの当番で、彼女は教科書を忘れたことによる罰として先生から理科室の片づけを命じられた。
薬品類は生徒に触れさせるわけにはいかないから、わたし達がするのは授業で使ったビーカーとかの器具を片づけることくらい。
洗って拭くところまでは各班でやって、それを棚にしまうのがその仕事だ。
本当は男女1人ずつで担当するんだけど、この日はちょうど相方の男子が欠席で、わたしは1人でやらなきゃならなかった。
たぶんそれで先生は彼女の罰をわたしの手伝いにしたんだろう。
彼女はちょっと話しかけにくいタイプの人だった。
別に性格がキツそうとか、恐いタイプというわけじゃない。
物静かではあるけど、暗いわけでもなければ、愛想が悪いわけでもない。
だけど、どことなく他の子とは雰囲気が違っていて、壁のようなものを感じてしまう。
話しかければ落ち着いた受け答えをしてくれるし、物腰は柔らかで親切でもある。
たぶん、まるで先輩を相手にしてるみたいな、そんな気後れを感じていたのだろうというのは後になって気づいたこと。
そしてそう感じているのはわたしだけじゃなくて、クラスの子がみんな、程度の大小はあれ、そんな風に感じていたんだと思う。
「なんか、ごめんね」
「何が?」
「普段なら教科書忘れただけで罰当番なんかないでしょ。あれ、たぶん今日の当番がわたし1人だったから口実にされたんだと思う」
「だとしても、あなたが謝ることじゃないでしょ」
理科は苦手だから余分な課題を出されるよりこっちの方が良かったと彼女が笑う。
普段はしっかりしていて隙がなさそうな彼女が、笑うとこんな風に可愛らしくなるのかと、わたしはなぜだかひどくドキドキした。
わたしだけが特別な秘密を知ってしまったかのような、そんな優越感が胸を擽る。
もちろんそんなはずはない。
彼女にだって親しい友達くらいいるだろうし、その子達はきっと彼女のこんな笑顔は数えきれないくらい見てるんだろうし。
でも、少なくともうちのクラスではそういう相手はいなさそうだった。
孤立しているというほどではないけど、彼女はいつも休み時間は誰かとつるむでもなくただ1人静かに本を読んでいて、気安く話しかけにくい。
学年が変わって同じクラスになってから、誰かと笑い合ってるところすら見た覚えがなかった。
わたしが彼女を特別気にしてなかったから知らないだけという可能性もあるけど。
「こっちこそ、ごめんね」
「え? 何が?」
「私、クラスでちょっと浮いてるでしょ? さっきから気を遣わせちゃってるなって」
「そんなこと、ないけど」
「無理しなくていいよ。目が泳いでる」
くすくす笑う彼女に、わたしまで何だかつられておかしくなってきてしまった。
確かに彼女の言う通り、実はちょっと緊張してた。
でも、それは彼女と話すのが嫌だったからじゃない。
話してみたら意外と話しやすそうだったから、これをきっかけに少し仲良くなれたらなと思ったから。
正直にそう言うと、彼女は朗らかに笑って頷いてくれた。
「実はね、新学期になったばかりの時にすごく好きな本のシリーズの新刊が出てて、それを読むのに夢中になってたら輪に入り損ねちゃって。人見知りもあってそのまま何となくあぶれちゃったの。ハブにされてるわけじゃないし、面倒臭いからまあいいかなと」
「え、そんな理由だったの? いつも真面目な顔で本読んでるから、なんか『孤高の人』ってタイプなのかと思ってた。面倒臭かったんだ」
「そんなんじゃないよ、ただのコミュ障」
「そんな風には見えないけどな。物静かだけど陰キャって感じとも違うし」
「猫被ってるだけだよ。こーんな大きいのだけど」
そう言って両手を大きく広げる様は、普段のイメージと全然違ってちょっと子供っぽくすらある。
そのギャップにわたしはまた笑ってしまった。
「じゃあ、わたしがクラスで第1号の友達だね。班分けとかする時はうちのグループにおいでよ」
「いいの?」
「大歓迎。うちのグループ3人でいつも1人あぶれるから一緒に組めるしちょうど良いでしょ」
仲良しの友人2人はどっちも人見知りするタイプじゃないし、2人ともどちらかと言えば穏やかな人柄だ。きっと彼女とも気が合うだろう。
そう言って誘うと、彼女は嬉しそうに顔を綻ばせた。
無理して合わせてくれてる感じじゃなくて、そのことにこっそり安堵する。
そうしてわたし達は、他人から見たら――ううん、自分で振り返ってみても、こんなごくささやかと思えるきっかけでぐんと仲良くなった。
馬が合うというのはこういうのを言うんだろう。
それから瞬く間にわたし達は急速に仲を深め、今では無二の親友、周囲から相方呼ばわりされるくらいべったりである。
美人な彼女に好意を抱く男子は少なくなくて、わたしに取り持ってくれなんて言ってくる奴もいるくらい。
でも彼女は今のところ男子との恋愛よりわたしとの友情を育む方が大事だからとにこやかにそれらをあしらってる。
特別扱いされて嬉しい反面、彼女の恋路を邪魔しちゃってるんじゃないかと心配になる気持ちもあるんだけど、それを話したら、彼女はそれはそれは良い笑顔でのたまった。
「クラスに微妙に馴染めなかった私に仲良くなりたいって言ってくれたの、すごく嬉しかった。だからね、私の一番は男子なんかには譲れないんだ」
「そっか、じゃあ仕方ないね」
へらりと笑うわたしに、友人2人がなぜか憐れみの滲む顔で肩を竦める。
何だろうかと聞こうとしたけど、ちょうど彼女から今ハマってるソシャゲの話題を振られてそっちに気を取られている内に忘れてしまった。
彼女とは趣味も合うし、話してて楽しいし気が楽だし、わたしも暫くは彼氏とかいらないかなと思う。
1年前は彼女とここまで仲良くなるなんて思ってもみなかった。
でも今は、1年後も2年後も、ううん、10年後も20年後だって、彼女とずっと友達でいたいし、隣で笑っていられたらと思う。
そう伝えたら、彼女はそれはそれは嬉しそうに笑った。
わたしの大好きなあの笑顔で。
6/16/2023, 1:04:38 PM