#018 『安らかな眠り』
眠れないんだ、と少年は言った。半年ほど前、突然目の前に現れた魔物に不眠を願って以来のことだという。
眠らずとも体力が尽きることはなく、二十四時間を余すところなく使えるようになるはずだった。ゲーム、動画視聴、ジョギング、音楽鑑賞、筋トレ、時々勉強、しんと静まり返った深夜の一時。そのどれもが楽しく、これまでの睡眠時間のすべてを充ててもまだ時間ぎ足らないほどだと思っていた。
眠りたい。高校の修学旅行の二日目、二徹に挑戦した級友たちが全員脱落した部屋で、真摯に願った。眠りたい。
眠れないんだ、と青年は言った。すぐ隣では名前も知らない女が寝息を立てている。
足りなかったはずの時間をいつしか持て余すようになっていた。やりたいことがあるはずなのに、何もやりたいと思わない。
眠りたい。深酒をして酩酊しても眠気を感じることはなかった。ただただ流れる無為な時間は苦痛でしかない。眠りたい。あらゆる感覚を閉ざし、意識さえも手放してしまいたい。
眠れないんだ、と老人は言った。通常なら意識を失うような怪我をしても、完全に気を失ってしまうことはなかった。眠りとは気絶と同義なのだと思い知らされた。
眠りたい。もう何十年眠っていないのかさえ分からない。かつて眠らなくてよい肉体に変えてくれた魔物が実在していたのかどうかも分からない。
ただ、何もしない時間を何もしないままにやり過ごすことには慣れた。苦痛を感じないわけではないが、他にやりようがないだけだ。
始まったが最後、終わりのない時間を持て余すようになるとは思わなかった。なんて最悪な願いごとをしてしまったのだろうと何度も何度も考えた。
ある時、唐突に初めての感覚に襲われた。胸のあたりがざわつき、呼吸が苦しくなり、何かがいつもと違うと思った。
針先で突かれるような痛みが、やがて剣山でも押し当てられているような痛みへと変わっていく。これは初めてのことだと思った。わけが分からないままにうめき、背を丸め、その場に崩れ落ちた。
そして訪れた少年時代以来の眠りが、すべてを奪った。
お題/最悪
2023.06.07 こどー
6/7/2023, 3:54:44 AM