竹崎セン

Open App

まず断っておくと、この話の結末はハッピーエンドではないの。
見せていないだけで、そこにあるのは長い長い旅模様。
箱の中で繰り返すリアルは金魚鉢を水面から覗いているみたい。美しくて残酷な、箱庭の幸せ。
私はそこに辿り着きたいだけ。


─────
「世話になった」
真っ黒なシルクハットにハニーブロンドをしまって男はふり向き様に言った。
「いいえ」 黒いレースで腕までを覆った手をひらひらと蝶のように挙げて女は笑った。
「もう逢わないことを祈ってるわ」
影に隠れた新緑に惜しいという気持ちを抑えて女は扉の向こうへ踏み出し光に溶け込む男の背を見送った。
いつからか、時間の概念というものがないこの空間に居るせいか、終わりという始まりから一体どれほど経過したのか、女は忘れてしまった。
もう大事な人間の声も姿も思い出せない。
自身の存在も記憶までもが危うくなっても諦めきれないのはなぜか。
生温くなってしまったコーヒーを口に運ぶとなぜだか舌打ちが出た。
やっぱりあの男に淹れさせれば良かったか。 再び冷めてしまったそれを口に運ぶと一匙の後悔は苦味の中に溶けてしまった。



喧騒が鳴り止まなかった。
空が崩れていくのが見えた。 テレビの画面は世界の終わりを叫んでいた。
「…ぁ……あ…ぁ…っ…」
小さな存在が女の腕の中で震えていた。
ただ抱きしめることしか彼女にはできなかった。
そんなときそばに置いていた電話が震えた。
虫の知らせというべきか。誰がかけてきたのかすぐにわかった。
慌てて受話器を手に取り耳に当てた。空風のような音が聞こえて、しばらくしてそれが呼吸音であることがわかった。
「────?」
ぜー、ぜー…と音が続いてそれが何度か聞こえて電話の向こうで激しくなにかが倒れる音が聞こえ、そして通話はそこで途絶えた。



女が二杯目の紅茶を飲み干す頃には時計の短針は南を指していた。その下で揺れている振り子が1つ2つと往復したその時女はティーポットへと伸ばした手を引っ込めた。 すぐさま椅子から立ち上がりアラベスクが彫刻されたくすんだ飴色の扉の前にあと少しといったところで女が止まると、間髪入れず傾いた扉の横で備え付けられたベルが鳴った。



──────
扉を開けると全身を漆黒に包んだ女が立っていた。
青年が口を開く前に女はゆったりした動作で真っ黒なドレスの両裾を持ち上げ軽々とお辞儀した。
「ようこそ 時の方舟《タイム・アーク》へ」
──────
本当にこれでよかったのかと辿った道の後ろを振り向く時があるでしょ。
ふとしたとき唐突に訪れるとっかかりはその頃の感情を記録という記憶にして掘り起こし、まるで動く写真を見ているようでも合わせ鏡を通して見ているようでもある。

不思議よね。

時として葬り去ってしまいたくなるようなそれらはその時の感情に問わず自らを励ましもするし腑に落ちない納得を胸に落とすこともある。ひとつひとつ薄いガラスのような歪な欠片は触れると粉々になって白い砂になったり万華鏡のようにコロコロと姿を変える。
それはとても美しいと感じることもあるでしょうけど、永遠なんてものはないの。
……一瞬よ。
それはここも同じ。
もしかしたら次瞬く頃には私もあなたも消えてるかもしれない。
私達はそれほどまでにあっけなく不安定な存在なのよ。 例えどんなに焦がれた図柄(パターン)があってどれだけそれを求めようとも二度と同じ情景にはたどり着けはしない。
そんな寂しさがこの世界を構築し、あの世とその世を繋いでいる。
もしよく似たモノを手に入れたとしてもそれはあなたが臨んだものではない。
そのことをよく肝に銘じることね。
それじゃあ──もう遭わないことを祈ってるわ。



─────
少し前に考えていた小説。途中なのでここに投稿。
お題【ハッピーエンド】

3/30/2026, 9:56:02 AM