うみ

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 ──空が泣いている。

 あいつが泣くのを見た瞬間、本気でそう思った。
 

 泣いている人間を泣き止ませるのは得意な方だ。
 どうしてって、物心つく前から隣に弟妹がいるのが当たり前だったから。母さんと父さんが側から離れると、あいつらはすぐにふにゃふにゃ泣き出した。あやすのはもちろん俺の役目で、抱き上げて揺らしておもちゃを振って子守唄を歌って習いたての魔法でミルクを温めて……と子供なりに一生懸命やった記憶がある。顔をくしゃくしゃにして泣く弟たちをあやすのは骨が折れたけど、こちらに手を伸ばしながら笑う姿を見ると嬉しかった。

 その甲斐あってか、他人が泣いているときにどうすれば良いのかがなんとなくわかるようになった。ただ隣にいてやれば良いとか、話を聞くとか、背中を撫でるとか。別に俺が特別なわけじゃなくて、上の子供あるあるなんだろう。同じように弟妹を持つ友人にこの話をした時、深くうなずかれた。


 ──それなのに。俺は今、どうすれば良いのかわからない。
 
「なあ、もう泣くなって」
「うっ、るさ、いっ、ふ、」
 お前、そんな風に泣くんだな。泣くところを初めて見た。流れる雫をぬぐおうともしない、ただ口元を押さえるだけの泣き方がなんともこいつらしい。俺のローブを皺がつくくらい握りしめて、目にぐっと力を入れて虚空を睨みつけている。
「おーい……」
 泣き始めた時に渡そうとしたハンカチは拒否された。濡れた頬を指で撫でようとすれば振り払われ、抱きしめようとすれば腕で強く押し返された。どうしろっていうんだ。
「お、まえっ、の、せい、だ……っ」
「あー、うん。ごめんな?」
「ち、がうっ」
 え、謝ったのになんで怒るんだよ。困惑していると、寮室のどこともつかない場所を睨んでいた瞳がこちらを向いた。薄い水色と視線がぶつかる。
「なぜっ、いいかえさな、い」
「なぜって」
「くっ、やしく、ふ、ないの、かっ?」
 ぼろぼろ、と止まらないどころか勢いを増す涙に焦って、とりあえず震える背中を撫でる。いつもしゃんと伸びている背筋は少しばかり丸まっていて、でもこいつの品の良さは失われていない。
「……俺さあ」
「っ、?」
「けっこー冷たい人間なんだよ」
「な、にを、いう……?」
 多分、周りの奴らは俺がこんな性格だって思ってない。いつも笑っているのがまるっきり演技なわけじゃないし、誰かに好感を持たれるために人助けをしてるわけじゃないから。
 でも、その実俺の内側は意外と冷えていたりする。
 面倒事にはできる限り関わりたくない。困ってる人が居れば助けるけど、それで誰かの怒りを買うとかうっかり惚れられるとかは勘弁だ。たぶん、やろうと思えば無視できるし、その通りにしても俺の良心はほんの少ししか痛まない。
「あのなあ、俺は無駄なことに割く感情なんて持ち合わせてねーの。ほら、泣き止めって。俺が怒んないのは、あー……お前らといるのが楽しいから。その時間無駄にしたくねえ」
 名前も知らない奴になんと言われようが、何も感じない。目立つところでヒトの悪口言うのやめろよとは思うけど、それだけだ。
「ふ、……」
 絶えず頬を流れ落ちていた水滴が、だんだんとおさまっていく。さりげなくハンカチを差し出してみると、今度は断られなかった。
「さきに、言え……」
「え、だってお前いきなり泣き始めたじゃん。ムリだろ」
「うるさい」
 理不尽。止まった涙に密かにほっとしながら、僅かに赤くなってしまった目尻を冷やすように指を添えた。
「……なんだ」
 不審そうにこちらを見上げてくる瞳になんだか笑ってしまった。
 薄い水色。空の色とも呼べそうな瞳が何度か瞬きをすると、ハンカチで吸い取り切れなかった涙がころりと零れ落ちる。とっさに掬い取ってしまった雫に、うろうろと指を彷徨わせて、結局渡したままのハンカチに押し付けた。
「あーあ、赤くなってんじゃん」
「良い。後で冷やす」
「確かにお前なら簡単に冷やせるだろうけどさ」
 水魔法ってのは便利だ。氷にも水蒸気にもなるんだから。
「そうだな」
 一切擦っていないからすぐに赤みも引くだろう、と続けられて今度はこちらが瞬く。
「そのために涙を拭かなかったのか?」
「ああ。他の貴族に泣き顔を見られて、弱みを握ったとでも思われると面倒だ」
 なるほど、貴族様も大変だ。泣くときにまで気を遣わなきゃいけないなんて。
「俺の前で泣くのは平気なのかよ」
「?」
 少し首を傾げて不思議そうにしている。
「こいつこの前泣いてましたー、って言って回るかも知れねえだろ」
「言い触らすのか?」
「いや、やんねえけど」
 だろうな、とうなずかれた。
「お前はそんなことをする人間ではない」
「……っ」
 その、お前の俺への信頼なんなの。なんかムズムズする。ぐしゃりと自分の後ろ髪をかき混ぜて変な感覚を飛ばそうとするけど、上手くいかない。
「それに」
「ん?」
「別に、お前になら泣いているところを見られても構わない」
「え」
 いつも通りの水分量を取り戻した空色が、こちらを見ながら少し細められるのが、やけにゆっくり見えた。


 ──あ。空が、笑った。


 2024/9/15 #3

9/16/2024, 11:09:44 AM