何が1番大切か。
そう問われたら私は『記憶』と答える。
記憶が無くなるなんて考えたこともなかった。
所詮空想の出来事であると、縁もゆかりも無いと、思考の端に置くこともしなかった。
私の友達が、事故で記憶を無くすまで。
「誰?」
これは、車に跳ね飛ばされた友達が目覚めて、私に放った第一声である。
事故の衝撃でこれまで記憶がほとんど消えており、今までの生活も、人間関係も、自分のことも全て忘れてしまった、と友達の両親が話してくれた。どんな慰めも無駄になるような、絶望に満ちた目で。
「誰ですか?」
再度友達が口を開く。怪訝な顔、そしてよそよそしい敬語を聞いて、少し腹が立った。
「覚えてないんだ。誰だと思う?」
「……さぁ、興味ありませんから」
揶揄ってもこの反応。私はコンクリートに話しかけているのだろうか。
「もし、あなたが嫌いな人だったらどうする?」
「どうもしませんよ」
能面のような友達の顔に、はじめて表情が見えた。表情といっても、唇の端を上げた『動作』というイメージであるが。
「どうも、しません」
どうもしない、か。
どうにもできないの間違いではないだろうか。
流石にその言葉は飲み込んで、友達の両親に礼を言ってから病室の扉を開けた。
病院の階段をタンタンと降りながら、私はぼんやりと思い出していた。
あの、全くの空白になってしまった友達の顔。
大切に抱えていた思い出が何の前触れもなく消えて、空っぽの身体だけが残った、友達の顔。
こんなに違うのかと思った。
友達がどこかに消えたような喪失感。いや、むしろ消えた方が楽だったまである。
「 」
友達の名前を呟いた。
なぜか、呟いた気になれなかった。
9/13/2025, 10:59:57 AM