はなればなれ。
小説。
駅に着くまでの信号の移り変わりを分単位で記憶している。
朝七時三十二分に家を出ると、三十七分に最初の信号に着く。土日だとこれがちょっと変わって、三十七か三十八分のどちらかになるが、平日なら、かならず三十七分だ。
ここでスムーズにひとつめの信号を通過する。
ふたつめの信号はうまく渡れれる日と渡れない日がある。
駅から家に行くときは、うまくいく。信号がつぎつぎに青になって現れるけど、家から駅に、逆に向かうときは無理だ。今とか。一度信号にひっかかって待つか、早足で渡りきるしかない。
俺は青信号のタイムリミットを見越して、余裕で横断する。
三つ目の信号のむこうはパチンコだ。ニシ駅の前にはパチンコがある。ここで群がるおじさんや、おばさんや、路上喫煙している人たちを避けたいときは、遠回りして裏道から行くべきだ。
ただ、今日は時間がない。俺は三つ目の信号を走り抜け、パチンコの前に乗り出す。
あとは全力疾走して駅に駆け込むだけだ。
今日は電車に乗って大学……ではなく、電鉄に乗ってツノガヤの家に行かなければならない。
ツノガヤん家のペットのカブトムシが死んだそうだ。
あと、彼女に振られたっていってた。ツノガヤは今、泣きながらカブトムシの死骸を埋めているらしい。
俺はうしろを振り向いて、サガミが俺に着いてきていないことに気がついた。
「おい! サガミ」
サガミはいっこ前の信号で止まっていた。両膝に手を置いて、ぜいぜい息をしている。
ツノガヤん家に行こう! といったのはこいつなのに。
サガミがスマホを取り出した。
それから俺のスマホに着信がくる。俺に電話をかけてきたらしい。
直接叫ぶなりすればいいのに。この距離だぞ。
横断歩道ひとつの距離で、俺はサガミからの電話をとった。
「もしもし?」
「キザキ……俺のことは置いていっていいから……ンゲホッごほごほ」
「体力カスすぎだろおまえ」
電話のむこうでサガミの荒い息遣いが聞こえる。
「置いていっていいからとか……たかだか失恋だろ。ツノガヤの。ツノガヤの失恋とか、俺はどうでもいいんだよ。おまえがからかいに行きたい! っていうから付き合ってんのに」
「いいからっ。行け」
行ったって意味ないし……。
俺は駅までの信号の青になる時間を秒単位で把握している。あと十数秒でここの信号が青になることが分かっていた。
「サガミが行かないなら、俺も行かないから。焦らなくていいから。サガミ。ゆっくり学校行こうぜ」
慰めてやってるというのに、サガミは顔をあげると、キッと俺を睨みつけた。
サガミは叫んだ。
「たかだか失恋? 失恋だけじゃない! ツノガヤは、ペットのカブトムシが死んで悲しんでるんだ。友だちが悲しんでいるときに駆けつけなくて、なにが友だち……ンゲホゴホッ……だから早く、カヤマさんといっしょに、ツノガヤのもとへ……アハハハ」
いいながら笑ってんじゃん。
サガミがむこうでゲラゲラ笑っている。自分で言って、自分でツボってるらしい。世話ないな。電話の必要がないくらいの大きな声をあげている。
「カヤマさんが、おまえが行かないと、カヤマさんがひとりで参列することになんじゃん、カブトムシの葬式! アハハ」
ふと右を向くと、うわさのカヤマさんが車道を挟んでむこう側の歩道にいた。
カヤマさんも今朝、グループチャットでサガミに駆り出されていた。
カヤマさんと俺はおなじアパートのとなりの部屋に住んでいる。今の時間にこんな場所にいて、カヤマさんは俺らと同様、カブトムシの埋葬に間に合わないだろう。
ゲラゲラ笑っているサガミや、俺に気づくことなく、カヤマさんはもう三秒で青になる赤信号を、全力で駆け抜けていく。
11/17/2024, 9:52:52 AM