言葉が下手だ。
書く文章なら多少は書けるんじゃないかと思っていた。
なんてことだろう、わたしは言葉が、文章が、喋りでも書き文字でも、ともかく下手だったのだ。「書けている風」に取り繕うことができることもあった、というだけなのだ。
考えてみれば要約がひどく苦手だった。
つまり、その文の目的を把握できていないということなのだ。
何のために書かれたのか、何を伝えようとしているのか、理解できていないということだ。
かつて、わたしはそれでいいと思っていた。
文は、何かを伝えるために書かれるばかりではないと思っていたからだが、なんのことはない、それはわたしの姿が反射しているだけだったのだ。
わたしは、何かを伝えるために文を作ったことがないということなのだ。
それは、もう、目も当てられないほど、下手だろう。
目的を見据えることが、そもそもわたしは致命的に下手なのだ。何となく生きているから、何かのために何かを頑張るということがほぼない。全くないわけではないのは、周囲から求められて何かを達成することはあるからだ。例えば部屋の片付け、例えば受験、就職、定期的な規制、適度な人付き合い、喜ばれる服装、振る舞いなど、そういったことだ。
ほんとうに、目的を持って言葉を選び、文を組み立てている人がいるのだろうか。所謂美文と呼ばれる近代の作品なら、目的があるのだろか。あるのだろう。目的ないし、狙い。
その文を説明するときに必ず現れる何か、明確なたった一つが、このずらずらと続く文字から立ち昇るということなのだ。ろう。たぶん。
そんなばかな。
4/4/2026, 7:24:50 AM