【行かないで】
海沿いの遊歩道を、君と二人で歩いていた。太陽が大海原へと沈んでいく。空は燃えるように赤く染まり、海の水面がキラキラと眩いほどに輝いていた。
見慣れた景色だ。今さら美しいとも思わない。だけど何故だか今日だけは、その鮮やかさがやけに目に沁みた。
「じゃあ、そろそろ行くね」
大きなトランクケースを一つ。カラカラと音を立てて転がしながら、君は軽やかに微笑んだ。別れを惜しむこともなく、普段通りの足取りで遊歩道を離れ、大通りへと歩を進めていく。
「うん、元気でね!」
幼い頃からの夢を叶えに旅立つ君の背へと、大きな声で呼びかけた。長く伸びた影が奇妙に滲む。ひらりと一度だけ手を振ってくれた君が、私を振り返ることはない。それでもとびきり明るく笑ってみせた。
海外へ行こうと思うんだと打ち明けてくれた君の背を押したのは私だ。応援してる、頑張ってと告げたあの日の自分の言葉を、裏切るわけにはいかない。
(――行かないで、なんて。言えるわけないじゃん、馬鹿)
君がどれほど真摯に夢を追っていたか、私が一番知っているから。だからせめてこの閉鎖的な村で、私だけは君の味方でいたかった。たとえもう二度と、君に会えないとしても。この胸を締めつける痛みを、永遠に抱え続けるのだとしても。
旅立つ君の背中が見えなくなり、周囲が夜の静けさに包まれるまで。私は一人きり、取り繕った笑顔でその場に立ち尽くしていた。
10/24/2023, 9:58:43 PM