夢を見ていたい。ぬるま湯のような夢、苦しみのない夢、辛さのない夢、全てが安寧に沈み進む夢。
だけれど、そんな夢が実際存在するものだろうか。人は寿命100年で、それを駆けていく存在だ。正に駆けていく。高い知性を持ったが故に考えることは多く、そして思考に費やす時間は否応無しに、私たちを駆けさせる。
夢が、人の記憶から構成されるものだとするなら、駆け抜ける我々の夢というのはいつも歩くことはなく、いつも息切れしそうな苛烈さの中にある。
安寧に浸る夢など、ない。
しかし、あると思いたいのが人というもので、あるというのなら、それは私が記憶していないだけだ。単なるそれだけだ。安穏は素晴らしいが記憶に残りにくく、夢という曖昧なものは風に飛ばされるように破れ消えゆく。ならば安穏な夢は、記憶に残るわけもあるまい。
代わりに私たちの脳には楽しかった夢と最悪な夢ばかりが羅列されていく。両極端なそれだけが、脳に夢としてインプットされる。
それは悲しいことだ。人生と似ているのだ。平穏は記憶に残りにくい。苛烈なことばかりが爪痕を残して、平穏というのがするりと消えていく。
人生は悲しい。平穏という美しいものが消え去っていく。
悲しいなあ。
1/13/2024, 8:22:34 PM