幸せとは。
こういう問いは哲学的でいいね。
蓋し、幸せとは幸せを求めていない時が幸せなのではないか。
アランの『幸福論』の受け売りに過ぎないが、実際どういう時に「幸せとは」ということを考えるのか、考えてみて欲しい。
それは、自身が幸せを感じていない時ではないか?
その他の「生きる意味」や「自分のやりたいことは何だ」といった問いも同様の性質を持つ。
そういうことを考えてしまうのは、精神状態のせいである、とアランは言っている。
故に、考え過ぎるな、ということだな。
考えて結論が出たとして、明日には変わっているのがオチ。
フランクルの書いた『夜の霧』でも似たような事が書いてある。
まあ、「実存主義」と一言で言ってしまった方が早い。
生きる理由を与えられる前に、我々は存在してしまっている。
故に、「生きる意味」という問いを出すこと自体無意味である、と。
うん……ここ最近はずっとこの考えだな……。
1/4/2025, 3:06:49 PM