うれしいときも悲しいときも、どんなときでも、一人でそこにいるだけで、“わたしの魂が自由になるような”不思議な力を感じることができる。その場所がわたしを受け入れてくれている感じがする。
そんな場所が、一人に一つあればいいなあと思う。
実際に、アメリカの先住民ような、大地のなかで生きる人々は、一人ひとり自分だけの“秘密の場所”をもっていたのだという。
自然のなかに、自分のお気に入りの場所を見つけ、できるだけ多く(毎日のように)その場所に通うのだという。
最近、”自分の居場所ってなんだろうと考えることがある。
現在住んでいる家は、これまでの人生のなかで一番長い時間、同じ時を過ごしてしてきたと思う。
しかし、自分で家を選んだわけでもなく、親が選んだ家に私も一緒に住んでいるという感覚であるため、”自分の居場所“なのかと考えると疑問が残る。
学生、社会人と通して、通う場所はあったが、そこに所属はしていても”自分の居場所“だと心から思える瞬間は少なかった。
わたしは、家族や友人など、だいすきな人と一緒にいる時間がとても大切で、こうやって”人との関わり“をもっているときに、そのコミュニティが”自分の居場所“だと思える。
一方で、”人との関わり“を一分一秒も途切れずに続けるとなると、わたしはそのコミュニティを”自分の居場所“だと思えないだろう。
わたしは実際に、一分一秒ほどでもないが、ほぼ丸一日”人との関わり“を継続したときに、その人との関わり方がわからなくなり、”自分の居場所“を見失いそうになったことが何度もある。
先人たちの意図に対してずれる部分があるかもしれないが、わたしは”人との関わり“を持ちつつ、自分一人の時間も大切にすることで、”自分の居場所“を常に持ち続けることができるのではないかと考えた。
だから、わたしも先人に倣い、自分だけの“秘密の場所”をみつけたいと思い立った。
わたしは住居の周辺の自然のなかに“秘密の場所”を探してみたけど、なかなかここだという場所は思い浮かばなかった。そもそもこの現代は、人工的につくられたものが徐々に溢れていっているため、その分自然が少なく、縁のない場所になりつつあるから、見つからなくて当たり前なのかもしれない。
自然がみつからない、そういうときには、人工的につくられたもののなかから、なんとなく落ち着けるところや、楽しい思い出があるところを見つけるといいかもしれないと気づいた。
わたしが思い浮かんだのは、図書館のこの一角のスペースや、近所にある川にかかった小さな橋などだ。
その場所は、自分にとって不思議なオーラを放っているかのような、神聖な場所のような、そして自分を受け入れてくれるような、そんな場所だ。
この場所がだいすきだなって思いながら、深呼吸をする。わたしはまた社会に揉まれるけど、あの場所を思い出して少し安心できる。だいすきな人との時間辛い時間ではなく、大切な時間にできる。
わたしにとって、”秘密の場所“は、人間社会のなかで生きるわたしの”こころ“を、凪のような穏やかな気持ちにして、人間社会に戻してくれるような、こころの休息の場所だと思う。
その場所に一人で行ってみた。そこにいるだけで、わたしのこころが、そして魂が自由になった気がした。
______秘密の場所_______________________________。
3/9/2025, 9:03:02 AM