無月

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【上手くいかなくたっていい】


思えば昔から、人の顔色ばかりうかがって生きてきた。だから、人の好かれるような言動ばかりしていた。
それは今から思い返せば、の話で、昔は無意識でやっていた。今だってそうだ。クラスの人達、先生の前で、私はきっと無意識に猫をかぶっている。

無意識に人がほしい返事を考えて、無意識に声色を変えて、無意識に媚びを売ったような動作をする。意識してやっていたのは好きな人の前くらいだろうか。

小学生の頃だったか、友人達に私のイメージカラーを聞くと、それぞれまるで違った色を答えたことがある。
「青じゃない?」「いや黄色だよ」「ピンクだと思うけどな」なんて言われて、心の中で薄ら笑っていた。人によって態度を変えている証拠だと、思った。
本当は、汚い灰色じゃなかろうか。


私がこうなったのは、多分幼稚園に入った頃くらい。妹が生まれて、母親がよく怒るようになった。怒り方があんまりよくない親だった。さっきまで笑っていたかと思えば急に怒りだし、私がなにか気に入らない発言でもすれば、容赦なく拳が降ってきた。

それと、人の失敗を見てよく笑う親だった。よく笑ったし、怒りもした。まだ幼稚園生なのに、分数なんかやらせて、間違えたら机を力任せに叩いて脅した。

だから、失敗した姿を見られるのは、私にとってこの世の何よりも屈辱で、嫌なこと。
恥ずかしいことだと思っていた。人の前で失敗することが。弱い部分を見せることが。


自分の失敗を人に言えない子供になった。


例えばトイレに行きたくなったとき。「なんでさっきの休み時間にトイレに行かなかったの?」と聞かれるのが怖くて、トイレに行けない子供だった。

例えば図工の時間に間違えた色を塗ったとき。それだけで顔が真っ赤になるほど恥ずかしくて、手で覆って誤魔化したりした。


小学校の高学年になれば、失敗を笑うことで少し恥ずかしくなくなることが分かった。
体育の跳び箱で失敗したとき。算数のテストで悪い点数をとったとき。習字で先生に修正されたとき。
いつも笑って、周りにその失敗を見せていた。失敗を見せることは辛くて、恥ずかしくて、その度に死にたくなったけど、それでも他人に見つかるよりは、自分から言った方が幾分かマシだった。


それを注意された時は、本当にびっくりした。


悪いことだと思ってなかったから。むしろ良いことだと思っていた。そこら辺の感覚が、鈍っているのかもしれない。思い返せば、八方美人の意味を知った時も、ずっと良い意味だと捉えていた。本当は悪い意味なのに。


とにかく、そんな先生の一言が、私にはけっこう衝撃だった。先生は多分覚えてないけど。

それからは努力した。失敗しても笑わないように。
その頃からは、委員長なんかして、前に出ることも始めた。それはしょうに合っていたようで、何かをまとめることや発表することは楽しかった。
まだ人の目を気にする子供ではあったけど、それでも殻を破るような気持ちで、大声を出して発表もした。




今の私が完璧になったかといえば、全然そんなことはない。
まだ人の目は気になるし、失敗することはこの世の何よりも怖いし、きっと八方美人のままだ。
誰に話しかけられても愛想笑いしてしまうし、自分のイメージを下げるような真似はしたくない。その癖に結構顔に出る。
劣等感の塊だし、人を攻撃することに罪悪感があまりないし、嫌いな人も多い。


けど、それでも。


「上手くいかなくてもいい」と思えるようになった。

人に弱みを見せられるようになった。

人に甘えられるようになった。

苦手な人から遠ざかれるようになった。

失敗した自分も受け入れられるようになった。

自分の努力は認められるようになった。

自分を肯定できるようになった。

自分を少しだけ、信じられるようになった。










それだけでも、今の所はけっこう楽しい。

8/9/2023, 3:47:42 PM