「あい らぶ ゆー。」
いきなり、後ろから肩を叩かれて、そんな言葉を言われたのは、初めてだった。しかも、六つも年下の女の子に。
「え、っと。ありがとう」
とりあえず、どうにかこうにかと口の中から言葉をはき出す。
「いいえ、こちらこそ、です」
そんな飾り気のない言葉を、涼しい顔で言いのけるわりに、両耳は真っ赤に染まっている。よく見ると、目線は決してこちらに合わせないで、グルグルグルグルと私を中心に円を描いている。
「こんな踏切の真ん中で話すのもなんだからさ、ちょっと座って話さない?」
天下の往来で見世物になるのはゴメンだと、瞬時に道路の向かい側にある閑散とした公園を発見した私の脳みそ。そちらを指差し促すと、彼女はロボットのごとき直角運動で、公園に向かい歩き出す。
前を歩く彼女に顔を見られないのをいいことに、今更になって身体が熱くなるのを感じる。きっと、今の私は両耳どころか、首まで紅葉しているだろう。
公園には、少し塗装の剥げたベンチがあり、そこに二人で並んで座る。
「こうして、ちゃんと話すのも久しぶりだね。元気にしてた?」
我ながらテンプレートな質問だとは思うが、彼女と会うのは本当に久方ぶりで、前回会ったのはもう半年前だろうか。この半年でずいぶん伸びた後ろ髪は、髪飾りでくくられ、ポニーテールと呼ぶには少し低い位置で結ばれていた。
「元気かといわれると、あまり元気ではありませんでしたが、今は元気です」
なんだか、答えになっているのだか、いないのだか。煙に巻いたような回答が、正面を向いたままの彼女から返ってくる。まぁでも、今現在は元気ということなら、それはそれで良しとしよう。
「その髪飾り、使ってくれてるんだね。嬉しいな」
彼女の髪をくくるそれは、私が半年前に誕生日プレゼントとして、贈ったものだ。そのときは、まだ彼女の髪も短く、使うのもだいぶ先だろうな、と考えていたことを思い出す。というか、そもそもすぐに使えない物をプレゼントするなよ、と今更ながら過去の自分に苦言を呈す。
「部活を引退したばかりのころはダメでしたけど、最近になって、ようやく着けても様になる長さになってきたんです」
丁寧に手入れをしていることがうかがえる黒髪は、彼女の生真面目さをよく表しており、思わず手のひらでそっと撫でたくなる。
「撫でてくれても、いいんですよ。昔みたいに」
私の気持ちを知ってか知らずか、こちらに向き直った彼女の口元は、からかいと本音の狭間のような、なんとも言えない角度で笑いかけてくる。
「子どもあつかいされるのをあんなに嫌がっていたのに、ずいぶん大人になったね」
悪戯心でそう返すと、一転フグのように頬を膨らませ、ムッとした表情になる。普段はあまり表情の変化を見せない彼女だが、昔からむくれた顔だけは見事なものだ。この可愛らしい変化を見るために、ついついからかいが過ぎてしまう。
「ごめん、ごめん。本当に大人になったと思っているんだよ。その髪飾りもよく似合っているし、目の前にこんなに可愛い女の子がいきなり現れたから、私も戸惑っているんだ」
そう伝えると、彼女の顔が、首から順にグラデーションのように染まっていく。これはフグではなくタコだな、なんて戯言は飲み込む。
「 」
口は動いているけれど、言葉は出ない。そんな逆パントマイムをしばらく見ていると、落ち着くためだろうか、彼女が数度深呼吸を繰り返す。
「ご、ごめんね。なんか、その、ごめん」
こんな反応をするとは思わなかったものだから、兎にも角にも先手で謝っておくのが吉だろう。
「べ、別に全然、ごめんじゃないです、悪くないです。こちらこそ、その、いきなりごめんなさいです。さっきも出会い頭に変なこと言って」
俯きながら言葉を紡ぎ出す彼女の表情は、半年前とちがって、前髪に隠れてしまってよく見えない。
「いや、さっきも言ったけど、ありがとう、というか嬉しいのは本当だよ。嘘じゃないよ」
可愛い女の子から、愛してる、なんて言われて嬉しくないなんてことは、あまりないだろう。そこに込められた意味は置いておくとして。
「私、もう三月だから、卒業してどこか遠くに行っちゃう前に、とにかく次に会ったら言おうと決めてたんです。愛、してるって。」
「英語だったけどね」
「それは緊張しすぎて!だって、全然心の準備出来てないのに!いきなり目の前にいるから!」
「それは、うちのアパートと大学の間の通学路だから、いきなりってこともないと思うけどね」
そう言いながら、そういえば最近、卒業前の締めの大掃除で、大学に行くのも久しぶりだったな、と思い当たる。一部屋しかないはずのアパートの部屋から、信じられないほどの段ボールの山が運び出される光景は、まるでマジシャンの帽子から次々飛び出す鳩のようだった。
「言語がちがっても、想いが同じならいいんです!気持ちが大事なんです!」
「うんうん、そうだよね。その通りだ。ありがとう」
「また!そうやって、はぐらかす!」
はぐらかしているつもりはないんだけれど、なんと言うのが適切なのか。わかりかねていると、今度はしっかり正面に瞳を向けて、彼女は言葉を紡ぐ。
「だっていつも私には、君は誰からも愛される良い子だって言ったり、愛されていて幸せだねって言ったり、そう言ってくれるけど」
はっきりと、しっかりと、言葉を繋ぐ。
「でも、愛されているのは、先輩だって同じだよ!少なくとも、私は愛してる!先輩は私に愛されてるから、幸せになれるんだよ!」
顔を背けたい、だけど彼女の瞳からは目をそらすことが出来ない。
「だから、生きて!ちゃんと私のこと見てて!もっとこの髪飾りが似合うようになるまで、ずっと!」
私も、前髪が長ければ、この止めることの出来ない涙も、まともに言葉を紡げない震えた唇も、恥ずかしい全部を、隠せたのだろうか。
「・・・・・・・・・・・・うん。ありがとう。」
ようやくしぼりだせた言葉は、私も、彼女も、少し幸せにさせてくれた。
改めて振り返ってみると、そりゃあ踏切の真ん中でずっと佇んでいる人間を見れば、彼女じゃなくとも驚くし、声をかけずにはいられないに決まっている。
私にとって幸運だったのは、やってきたのがぼうと待っていた電車ではなく、可愛い可愛い彼女だったことだろう。
明日も明後日も、何もわからない人生だけど、とりあえず、立つ鳥跡を濁さずとリサイクルショップに売り払った大量の段ボールたちを取り戻すことから始めよう。
2/23/2024, 7:32:08 PM