わたあめ。

Open App

僕は日記をつけていた。
高校に入った頃から10年間、毎日欠かさず書いていた。
どんなに忙しくても、その日の出来事や思ったことを書き綴っていた。

最愛の彼女が、病気になるまでは。

難病にかかってしまった彼女は、治療方法が見つからず、薬で症状を押えながら延命措置を施すしかなかった。

余命を宣告されても、徐々に体が思うように動かなくなっていても、彼女は笑顔だった。

そんな彼女を見ていたからか、僕は彼女を支えられるよう努力した。お見舞いもできるだけ行って、色々な事を彼女に話す。仕事の話、同僚の話、家族の話。楽しかったことを彼女に伝えていた。
他愛もない話を、ニコニコと聞いてくれた彼女が大好きだった。

仕事に行って、休日はお見舞いに行ってと目まぐるしい日々を過ごすこと一、二年。


彼女が天国へ旅立っていった。


その日も体調は安定していたが、いきなり様態が急変して、そのまま帰らぬ人になってしまったらしい。


僕は仕事中だったので、夜に彼女の母からの電話で知らされた。

前日も、彼女と話して笑いあっていたのに。
また旅行に出かけたいね、と未来の予定も立てていたのに。
来週本を貸すからねって約束したのに。

あっけなく病魔が彼女の命を奪っていった。

涙は不思議と出なかった。
むしろようやく苦しい闘病生活から開放されたのだ、どうかあっちの世界では安らかに楽しく過ごして欲しい、と安心の気持ちがあった。

でも、もちろん今までいた存在がいなくなるのは大きく、心にぽっかり穴が空いたようだった。


そこからはほとんど記憶が無い。
気づけば彼女の葬儀も一通り終わっていて、時間が過ぎていった。



そして先程、彼女の三回忌が終わった。
電車に揺られ、一人暮らししている家へ帰る。

ゆっくりネクタイを外し、椅子に座る。

部屋を見渡すと、少し物がごちゃごちゃとしていた。
彼女が亡くなってからの三年は自分の事にはもちろん気を遣えていないため、家事もしっかりやれていない。

そろそろ片付けるかと、のそのそと床に散乱している本やカバンを取ろうとしたその時。


バサッ


一冊の本が棚から落ちた。
なぜ今?と思い、拾いに行く。

落ちたのは自分がかつてつけていた日記。
もう何年も開いていないから、埃をかぶっていた。

『こんなところにあったのか。』

埃を手で軽くはらい、日記を開く。

そこには、彼女がまだ元気だった頃の日々が綴られていた。
映画に行った、彼女が家に来た、色々書いてある。

『ふっ、色んなところ行ったよな。』

懐かしいなとペラペラめくり、手が止まる。

あるページから字が違う。
日もだいぶ空いてから書いてあるが、その日付の頃は彼女はもう闘病中だったので、書いてる暇は無い。

これは紛れもなく、彼女の字だった。

彼女は短期間退院する事があった。
その際、よく僕の家に来ていたから、僕の目を盗んで書いたのかもしれない。

彼女の日記はとても短かくて、数ページだけ続いていた。


【 7/22
日記書いてないんだね。代わりに私が続き書いとく。
今日は仮退院日。体調も良いから気分もいいよ。】

『君らしいなぁ。久しぶりに会えてはしゃいでたよね。』


【 12/18
薬で体しんどいけど、君の家来れてよかった。
どうしても会いたかったの。
浮気してないかな。】

『するわけないだろ。僕には君しかいなかったんだから。』


【 3/3
ひな祭り!!ちらし寿司美味しかった〜君の料理好きだな。】

『病人なのに、沢山食べてたね。ちょっと心配だったけど嬉しかったよ。』


【 10/5
体調安定しなくてなかなか来れなかった。今日も朝はしんどかったんだ。私このまま死んじゃうのかな。】

『不安だったよね……言ってくれれば、良かったのに。』


視界が歪む。
ホロホロと涙が頬を伝った。
久しぶりの彼女の言葉たちに、嬉しさと寂しさを感じたのだ。

そして彼女が遺した日記の最後のページを開く。


【君へ。

きっともう私は長くない。
急に苦しくなるし、もしかしたら前触れもなく君の前から消えちゃうかもしれないけど、それでも許してね。
戦ったけど、もう負けそうなんだ。
もしかしたらこれを読む頃には、私はもう死んじゃっているかもしれないね。
私が居なくても、ご飯食べて、寝て、幸せになるんだよ?
私以外の人と付き合うな!なんて言わないから笑 】


彼女らしい文章に、ふっと笑ってしまう。
そういえば、こういう子だったなと。


【 あ、でも一つだけ。】


【誰かを愛していても、私の事はたまにでもいいから思い出してね。】


【2/15 あなたの幸せを願う者より。】


彼女が最後に残した願い。

きっとどんなにたくましい彼女でも、誰かの中に残っていたいと。僕の中で生きていたいと。忘れられたくないと願いたかったのではないか。

その憶測は、一度止まりかけた涙をまた流すには十分だった。


『……っ、忘れるかよ……忘れたくても!!忘れるわけないだろ!!』


日記を抱きしめて、うずくまる。
ただ静かに声を殺して泣いた。

その日初めて、僕は彼女の死に向き合う事ができた気がした。

#忘れたくても忘れられない

10/18/2023, 12:13:43 PM