海月は泣いた。

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心と心


「逃げちゃおうよ」
そう言ったのは私だった。彼女は酷く驚いた顔をしていたけど何だか嬉しそうで、その言葉を待っていたみたいに見えた。学校の最寄り。降り慣れた駅に着いて席を立った彼女の手を握って引き止めた。彼女は固まって動かなくて、私はドアが閉まるまで彼女の手を決して離すまいと強く強く握った。正直、私の心臓は緊張でバクバクと音を立てていた。彼女が手を振り払って去っていってしまうんじゃないかと不安だった。だから、いつものメロディが鳴ってドアが閉まった時やっと息ができたみたいな気分だった。彼女はドアが閉まったのをただただ見つめていて、暫くしてからゆっくりと席に座った。左隣の彼女をちらりと見やると、彼女は少しだけ微笑んでいて、てっきり怒られるんじゃないかと思っていた私は首を傾げた。
「ふ、ふふ、っ、こういうの初めてだ」
幼い顔で楽しそうに嬉しそうに笑うから、私までつられて笑う。
「私もだよ」
「怒られちゃうなあ」
明日への不安とかそういうのも全部、今の私たちはちっとも怖くない。むしろそれを楽しんでまでいた。
「怒られた時の言い訳考えておこう」
そう言うとまた彼女は笑った。いつもは見えない白い歯が見えてドキドキした。こんな楽しそうな顔初めて見たかもしれない。いつも何を考えているのか分からない顔で遠くを見つめていた瞳に、今は私が映っていて何だか恥ずかしい気持ちになって目を逸らす。
「どこまで行こうか」
「どこまででも」
行く宛てのない私たちは、ただただ列車に揺られて他愛もない話をした。最近好きな音楽だとか、クラスのあの子の恋模様とか、ほんとにほんとに下らない話をしていた。こんな穏やかな時間がいつまでも続けばいいのにと思っていたけど、やっぱり時間は有限だ。列車内に終点というアナウンスが響いて、私はついにこの時間が終わってしまう、と淋しい気持ちになった。扉が開いて、私たちは揃って列車から降りる。
「…きれい」
思わずわあっと感嘆の声が出た。目の前は真っ青な海が広がっていた。
「こんな場所あったんだね」
「ね、初めて来た」
彼女の瞳に海の青が映って真っ黒な黒目に透き通った色をさせていた。太陽の光を反射した波のちいさな光たちが透明度が増した黒の中に宿ってそれが星空みたいで綺麗だった。
「今日は、初めてのことがいっぱいだ」
彼女は少女のような顔で言った。私は、ぽてりとした桜色の唇の動きに見蕩れて浮ついた心でぼんやりと彼女を見ていた。
「それを、貴方と一緒に出来て嬉しい」
照れたみたいにはにかんだ。その微笑みは天使の様だった。頬は桃色、唇は桜色に染まっていてさながら春のように麗しかった。映画のワンシーンみたいな儚さだ。
私もだよ、と口に出さずともきっと分かるだろう。その代わりに彼女を抱き締めた。細く壊れてしまいそうに脆い体躯を守るように、強く優しく抱き締めた。おかしくって恥ずかしくって、私たちは心と心をくっつけ合って笑った。
「バカみたいだ」
そう言う彼女は優しい顔をしていた。私たちは未来への不安とか恐怖とかそういうの全部から逃げるように手を繋いだ。私は海を見る横顔に見蕩れながら好きだよ、とバレないように囁いた。

12/12/2023, 11:53:11 PM