Shina#47

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お題 : あの日の温もり


小説でもなく、なんでもないただの心情なわけだけど。気が狂いそうになった時、いつも無意識に逃げてきたのは”小説”だったから述べさせてもらう。

長年ずっと負の感情とか溜め込んで、楽しく生きてきたんだけど、最近それが爆発した。
家庭環境とか持病があるわけでもないし、姉も兄もいるけど歳が離れすぎてるわけで喧嘩もしないし、そもそも人生でしたことはないし、むしろ恵まれすぎてて。
でもだからこそ周りが言う痛みが分からない。今ものすごく信頼してる友達もいるけど、どうしてもこんな恵まれてることを自覚してる人間が悩みを言う気にもなれない。むしろ友達はいつ消えても分からないぐらいみんな儚い。

そんなことを最近自覚してから、気付いたことが3つ程度ある。1つ目は今までのことをまとめた、「苦しくない自分が苦しい」みたいなことで、あと二つは、「弱音を吐く自分が嫌いなこと」と、「人のことを心から信用できてない」ということ。本気で苦しい人達には笑って欲しいし、そんな苦しい時にこちら側の事情を突き付けたくないという気持ちがあったから。

そしてより汚くなった。友達が自分達に弱音を吐いてくれることが、頭の片隅で「病みアピ」だと認識してしまったり。本当はもっと信じて欲しいのも本音だから、より自分のことが理解できない。それもあってさっき書いた2つ目と3つ目に気付いた。

でも自分がこうして生きていられるのは、今推してる推しと出会って、こうして活動を続けてくれるから。

出会った日の温もりなんてもう忘れちゃったけど、その温もりを生きてる時々に感じてしまって、また「明日も頑張ろう」と思う。なんとなく曲聴いてる時も、なんとなく動画見てる時も、自然と笑ってしまって笑顔になれてる。感覚では忘れてても、やっぱ画面越しで叶うはずのない関係だから弱音を吐けて笑えて声出して喜んでるんだろうなといつも思ってる。

悪い言い方をすると「呪い」。でもその「呪い」があってこそ今生きれてるんだろうなと思ってる。本当にありがとうと面と向かって言えないけど、いつも心から感謝してるから、活動を辞める日まで推してみようと思う。

「あの日の温もり」というお題を見てふと思い付いた今の心情です。


このただの人間の弱音が流れてきた皆さんが、心から幸せになれますように。

2/28/2025, 10:43:35 AM