※『クジラの落とし物』第四話
2025.9.18投稿分の続きです。
【前回のあらすじ】
セイナとマドカは、村の広場で出会ったプレイヤー・ユミとともに、彼女の娘ホヅミを探すことになった。
ホヅミに関する情報を求めて訪れた情報屋で、優先搭乗券の持ち主が【ユト】という重課金者であることが判明する。
彼の居場所は【クジラの丘】。重課金プレイヤー通称【クジラ】のみが立ち入りを許される専用エリアだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
夜の石畳を抜け、私たちは【クジラの丘】の入り口に立っていた。目前に立つ背の高い鉄柵の向こうには豪奢な屋敷群が月光を受けて輝き、内側からは裕福さをまとった灯りが揺れている。頂に立つひときわ大きな屋敷はまるで城のように複数の塔を持ち、闇の中に荘厳な影を落としている。
「そう簡単に入れるとは思わなかったけど……」
マドカが鉄柵に伸ばした手に小さな火花が散る。村の出口とは異なる警戒を伴った拒絶。
それもそのはず、このエリアに入れるのは一定額以上の課金を行った【クジラ】のみだ。中課金の【マグロ】と呼ばれる層ですら入ることは許されない。
「私たちに課金なんてできっこないし、どうする?」
「とりあえず、その辺のクジラに声かけてみよっか」
そう言ってマドカはエリアに入っていこうとするクジラに躊躇なく声をかける。マドカの行動力に思わず感心する。
しばらくクジラと話していたマドカが悪態をつきながら戻ってくる。
「どうだった?」
私がマドカに問いかけると、彼女は両腕を胸の前で組みながら分かりやすく苛立ちを見せる。
「何よ、あのクジラ。バグだと思って話すら聞いてくれない」
そもそも何かのイベントでもない限り、NPCの方から話しかけるというのが異常な状況なのだ。プレイヤーが反応に困るのは当然だ。ましてや世界の終わりが近づく状況で、その原因が未知のウイルスとなれば、それは単なるバグだと思われても仕方がない。
その時、午前零時を告げる鐘が村内に響き渡る。鐘の音には不規則にノイズが混じる。
「少しずつ、バグの影響が出てるみたい」
私がつぶやくと、ユミが不安そうな表情を見せる。
「それは、あまり時間がないということでしょうか……」
「急いだ方がいいのは確かですね」
私は月を見上げながら答える。
「はぁ、なんかずっと振り出しにいる感じ」マドカの声に焦りがにじむ。「このまま消えるなんて絶対イヤ……」
マドカの本音が漏れる。
彼女はキョロキョロと辺りを見渡し、鉄柵沿いに立てられた掲示板を見つけて近寄っていく。
実際、世界の滅亡まであとどのくらいの猶予あるのか。目に見えて崩壊しているのは、空に浮かんだ月と先ほどの鐘の音だけである。この村の外では崩壊が進んでいるのか。確かめようのない状況に焦りと苛立ちだけが募る。
掲示板をのぞき込んでいたマドカが「あっ!」と声を上げた。
私とユミが続いて掲示板に目をやると、そこには見慣れた名前とともに短い一文が記されていた。
『ホヅミというプレイヤーまたはNPCを見つけたら至急連絡されたし ――ユト』
それは、私たちが探している二人に接点がある可能性を示していた。
「ホヅミ――」背後でユミが静かに声を上げる。「本当にこの世界にいるのね……」
ユミの言葉にどこか違和感を覚える。それは、あの日情報屋で感じたものと同じだった。
――彼女はこの世界に娘がいる確信をまだ得られていない……。
「ユミさんの娘って何者?」
マドカが掲示板とユミの顔を交互に眺めながら訝しげに尋ねるが、ユミはどこか浮かない顔をしている。
「ユミさん、娘さんの話、詳しく聞かせてくれませんか――?」
私の言葉にユミが一瞬戸惑いを見せる。
「実は――」ユミがついに重たい口を開く。「ホヅミは眠ったまま目覚めないんです――」
月の光がユミの表情に暗い影を落とした。
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10/5/2025, 12:43:20 PM