何かにつけて「ありがとう」とたくさん感謝を伝えてくれる彼にはふたつの秘密がある。
みんなに優しくて、いつもにこにこと人好きのする笑顔で仕事をこなす彼。
ウケを狙って話すとつまらないけれど、そのつまらなさが面白いと私は密かに思ってる。
かと思えば、客入りが落ち着くと静かに隅っこの席でスマホを見つめてたりする。
「おつかれさまー!」
いつものように職場であるシーシャ屋に足を運ぶ。
出勤でなくとも、家が近い私はついつい立ち寄ってしまうのだ。
昼は彼、夜はオーナーと私で切り盛りしている。
私の首にかかったマウスピースとジャラジャラとつけたマスコットのぶつかる音で、どうやら彼は私が来たと認識したらしい。
カウンター内からスラリとした長身と金に近い茶髪がさらりと揺れた。
「お疲れ様です。いそがしい?」
「いや、ゆっくりよー。だからまだ片付け残ってるけど触んなくていいからね!座ってて」
はあい、とゆるく返事をして私はカウンターに1番近い席に腰掛ける。
刹那、ぱちりと目が合った彼が、ふっと優しく笑った。
彼の秘密、そのいち。
彼と私は最近付き合い始めた。
彼とは以前から顔見知りではあったものの、特に深い会話を交わすこともなく数年が過ぎていた。
ここ1年ほどでようやくまともな会話をするようになり、いつの間にか好きになってしまっていたのだからしょうがない。
3ヶ月間の私の猛アピールにより、今に至る。
1度はぬるっと振られた。
仲も良かったし、毎日顔を合わせた上で毎日欠かさず連絡をくれていたものだから、あちらもその気があると思って気持ちを伝えたら「えー!俺全然そんな意識してなくて…!いや、待って、まずは1回遊びに行こうよ!」という回答をもらった。
そしてその通り、1度きりのデートではあったが「居心地いいし楽!めっちゃいい!」と言い始めてようやく付き合ってもらえることになったのだ。
いまだ彼の誠実だけど気まぐれ感があるという面に関しては何も分からないので、本当に何も考えてないのだろう。
まだ付き合っていることは私たちだけの秘密。
お客さんのシーシャを作りながら、咳き込み、一旦トイレへと向かう彼の背中を見て、彼のもうひとつの秘密が私の心にひたひたと忍び寄った。
それは黒くドロドロとした嫌なもののように感じる。
彼には、難病がある。
そしてその合併症である腫瘍を脳に抱えていた。
2年前に腫瘍は摘出したようだけれども、いつまた再発するかは誰にもわからない。
週に1度の通院と、朝晩には出なくなってしまったホルモンを補うための多量の薬。
毎朝必ず喘息の吸引をする。
こんなにも彼は素敵でいい人なのに、なぜ彼は痛みを抱えて生きていかねばならないのか。
しかし、私が彼に恋してしまった大きな理由は、不謹慎ながらもそこにあるのかもしれない。
180センチはある彼の背中が不自然に華奢すぎることに気づいてからすぐに、みるみる彼の綺麗な頬も痩せこけていった。
時折、彼の体調を心配していた当時の私は、まだ彼がそんな大きな秘密を抱えていることなど露も知らなかった。
咳き込んで、肺をさする彼の手に急激に増えるイボ。
前は気にも留めていなかったのに、今では一目でわかるほど斜視になった色素の薄い左目。
斜視は脳腫瘍の影響であると聞かされたのは、つい昨日のことだ。
すべてが心配で仕方なかった。
単純な心配から、気がついたら彼を探してしまう癖がついてしまったのかな、なんて思う。
それでも、ここ1ヶ月は調子が良さそうに見える。
彼自身も調子はいいと言うのでやはりそうなのだろう。
慌ただしい日常で、明るく気丈に仕事をこなす彼。
私の頭をまるで犬を愛でるみたいに撫でる彼。
公園に行って一緒にゆっくりしたいとせがむ彼。
ほっそいくせに、腹筋が割れてないからさらに痩せたい!もっと魅力的になりたい!と訳のわからないことを言う彼。
斜視になってイケメン枠じゃなくなったと悲観する彼。
好きで、たまらない。
彼との会話はいつもありがとうに溢れている。
私だって彼に感謝しているのに、それ以上に彼がありがとうと言うから少しもやっとする。
どのくらい一緒に居られるか分からない。
それでも、このガラス細工のような日々に彼が楽しそうにたくさん装飾をつけていくものだから、私は超合金で補強していってやると密かに心に誓っている。
自分のことで精一杯ってふと漏らしたあなたが、私をパートナーに選んでくれた。
それだけで私は幸せですよ。
私が告白してから、調子良さそうだね。
こっからまじ健康に、幸せにしてみせるから覚悟しろよおじさん。
いつも、どんなあなただって、私は大好き!
10/29 tiny love
10/29/2025, 11:53:42 AM