白糸馨月

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お題『遠くの空へ』

 ヒーローの必殺技のパンチを頬に喰らい、俺は豪速球の球にでもなったかのように遠くの空へと飛ばされていく。
 とあるアニメの悪役のように挨拶する間もない。ヒーローのパンチはとてつもなく大きく重たい分銅のようなもので、喋る間もなく飛ばされるのだ。さしかえたばかりの奥歯がまた粉々に砕けたのだけ分かる。痛みを感じるよりも気圧が体を圧縮していくような感覚を覚えて、気がつくと俺は頭から海の中に落ちた。毎回同じパターンだ。
 海の中へ沈められた後、俺は泳いで水面から顔を出す。そこでようやく痛みを感じ始める。何度食らっても痛みに慣れることはない。
 船上に都合よく船が停めてあって、そこからうきわがこちらに投げ込まれる。俺はそれに捕まると、引き上げてもらう。
 船上に上がると、何人かスタッフがいて

「お疲れ様でした!」

 と言って、まずは医務室に案内される。砕けた歯を口の中から出して貰って新しい歯に入れ替えてもらう。それからタオルで包んだ氷の袋を渡されるので、それで殴られたところをおさえる。
 治療した医者が口を開いた。

「しっかし、なんで悪役なんてやるんですかね? いくら子供達を楽しませるためとはいえ、そこまで痛い思いをして」
「お金のためですよ」

 そう、俺達はビジネスで悪役をやっている。さっき俺を殴ったヒーローは、同じ会社のヒーロー部門に所属している。俺はヴィラン部門だ。ちなみにヒーロー部門よりも給料が1.5倍ほど高い。理由は、ヒーローに比べて怪我が多いからだ。
 どうやら娯楽に飢えた一般人のために作った会社で、今は子供に人気があるビジネスにまで発展している。
 だが、ヴィラン部門は給料が高い割に人気がなく、離職率も高い。その中で俺は会社創業当初からヴィランをやり続けている。入社時から顔の形が変わったが、もともとイケてないツラなので大して変わらない。

「世間ではヴィランでも、息子のヒーローにはなりたいんです」
「あぁ、息子さんね」

 医師は言葉を選ぼうとしている。俺の息子は生まれた時から心臓の病にかかっていて、ずっと病院で生活している。そんな息子の治療費を稼ぐためなら殴られることなんて大した事ない。
 俺は決意を新たにして拳を握りしめた。

4/13/2024, 1:54:33 AM