薄墨

Open App

『愛があれば何でもできる?ラブラブ♡街角カップル特集!!』
ゴシック体の文字が、水に滲んでいる。
ここに似つかわしくない。ここに足を踏み入れる人間の中で、いったい誰が読むというのだろう。

俺は読み捨てられた水溜りの雑誌に一瞥をくれ、路地に足を踏み入れる。
懐がずっしりと重い。

足が重たくなる。
いつものことだ。
いくら慣れても、向かう先がこことなれば、自然と靴はコンクリートに擦り付く。
俺に良心だの倫理だのが残っているとでも言うのだろうか、笑わせる。

「愛があれば何でもできる…ねぇ」

さまざまな愛の形が“公式”に愛と定義され、このご時世に愛は溢れた。
愛は素晴らしい!と信じてやまない純愛者の人々は皆、胸を張って言う。
“愛があれば何でもできる!”

路地は暗く狭い。
通行人の目も届きにくく、人の気配どころか、猫1匹見かけない。
仕事には格好な場所だ。

俺が思うに、“愛があれば何でもできる”なんて言葉は、あんな、社会で使われている様に明るい言葉でも、軽々しい言葉でもない。

“愛があれば何でもできる”は、愛する者のため、愛する者に相応しくなるために、何としても幸せと成功を手にしようと覚悟を決めた者を指す言葉ではない。
愛以外の何も気かけず、愛する者のために容易く一線を越え、人の尊厳も倫理もなく、合わせる顔すら持ち合わせない、惨めに落魄れた人以下の生き物を指す言葉なのだ。
…今の俺みたいな。

路地は深い。
足下を、何かがコソコソと走り去って行く。
今日は簡単な取引だ。この辺りでいいだろう。

俺は足を止める。
だいぶ奥まで来ていたようだ。奥の方から、怒鳴り声や呻き声が聞こえる。
くらりと脳を揺らすような匂いが、微かに香る。

「…案外、愛があれば何でもできるもんだな」

狭い空から、カラスの鳴き声が降ってくる。
ゴミ溜めを覆う空も、青く澄んでいた。

5/16/2024, 12:49:56 PM