いしか

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もう一つの物語はない。
私の今いるこの世が、紛れもない現実なのだから。

「はあー、私…なんか一人でから回ってるっていうか、モヤモヤしてる……」

私がこんなになっている理由は、彼にある。
彼と言っても私と彼はなんの関係にもない。

どこにでも居る、上司と部下だ。
ただ、その上司の彼は、仕事ぶりは大胆なくせに、私には一切、手を出してこない。
そのくせ、私にはビシビシ好きだという気持ちが伝わってくる。

おかしい、言葉も触れ合いもまったくしてこないのに、気持ちばっかり無言で伝えてくるなんて狡い。

私だって、貴方が好きなのに……。
好きにさせられたのに……。

ばか野郎………。


「林。いつまで残ってるんだ?」
私に声をかけてきたのは、彼。

中原 雄誠(なかはら ゆうせい)
私より10歳上の上司だ。

「……申し訳ありません。すぐに帰ります」

私はカバンに持って帰る物を入れ、席を立つ。

「お疲れ様」
「お疲れ様でした。」

私が残っていたのは、仕事なんかじゃない。
貴方のことを考えていたから。
貴方が、私を惑わすから。

「中原さん………」
「うん。どうした……」
「中原さんが言わないから、もう私から言います。勝ち負けじゃないけど、私の負けです」

「………えっ?」

そういうと、私は彼に近づき、ハイヒールで何とか届く彼の顔に近づき、キスをした。

そのキスに「好きです」という気持ちを乗せたのが届いたかどうか分からないが、彼からもキスのお返しがあり、暫くの間お互いの唇はくっついたまま、何度も何度もキスを繰り返していた。

「……なっ、かはらさ………っ!」
唇が離れたかと思ったら彼は私を抱き寄せ、言った。

「ごめん。君から言わせてしまって……
俺も、君以上に君の事が好きで、愛している。臆病で、すまない……。」

彼からずっと聞きたかった言葉。
けれど思った以上に破壊力の凄かった彼の愛の告白に、わたしの腰が腰砕けになったことは、言うまでもない。

10/30/2023, 5:39:34 AM