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八、たった1つの希望
無性に心細くなる夜がある。無性に泣きたくなる夜がある。得も言われぬ不安に押し潰されそうで、ミアは震える指先をぎゅっと握り締めた。
「まだ起きてたのか」
扉が開くなり姿を現した仕事終わりのアルバートは、玄関先でひとり佇んでいた己のメイドの姿を目にすると開口一番にそう言った。視線が合ってミアは知らず知らずのうちにほうっと息を吐く。幾らか気持ちが和らいだ。
「お帰りなさいませ」
「今日は遅くなるから先に休めと言っただろ」
時刻は午前二時を回ろうとしていた。ミアは二時間後には起床して朝食の仕込みをしなければならない。
「申し訳ございません」
「謝って欲しいわけじゃ……どうした?」
ミアの異変を察知したアルバートは訝しんだ。上着を脱いでからミアに近付くと、アルバートは彼女の顔を覗き込む。
「体調でも悪いのか?」
アルバートの問いにミアは首を横に振る。
「なら眠れないのか」
「……」
何も言わないミアに、アルバートは「当たりだな」と呟く。
アルバートは逡巡した後、口を開いた。
「ミア、俺の部屋まで水を持ってきてくれ。喉が渇いた」
「あ……は、はい」
主人の命令にミアは頷く。
自分の部屋に戻れと言われなかったことに、ミアはただただ安堵した。

水を注いだグラスを主人の寝室まで運ぶと、アルバートが手招きした。
「悪いな。夜遅くに」
「いえ」
今のミアにとっては寧ろありがたかった。
アルバートはミアからグラスを受け取るも、それに口を付けることはない。
「お前、今日はここで寝ろ」
「え?」
「俺の寝台使え」
アルバートの言葉を理解した途端、ミアは顔を真っ青にした。そんなこと許されるはずもない。
「い、いけません」
「俺ならソファで寝るから問題ない」
問題大ありである。
「ちゃんとベッドで寝てください」
「まだ寝てないお前にだけは言われたくないな」
間髪入れずに言葉を返されたミアは口を噤んだ。
「明日の朝もゆっくりでいい。……ひとまずは寝ろ。体が持たないぞ」
「……でも」
ミアは目を伏せる。
「何をそんなに不安がっている」
アルバートがミアの頭を優しく叩く。
「俺がいるだろ」
アルバートの言葉にミアは顔を上げた。何がそんなにも自分を不安にさせているのか、ミアは考えたがやっぱりよく分からなかった。それでもこれだけは分かる。自分をそばに置いてくれたあの日から、ミアにとってアルバートは、たった1つの希望なのだ。








3/3/2024, 10:58:06 AM