薄墨

Open App

安心フィルターがなんだっていうんだ。
そう思いながら、依然、燃え盛るSNS投稿を報じる携帯端末の電源を切る。
この数十年で、安心フィルターが名ばかりになるほど、人の悪意はムクムクと育ち切ってしまった。

ため息を一つ吐く。
肺の中に取り付けたフィルターが、ため息と一緒に埃を吐き出す。
外には澱んだ空気が渦巻いている。

数年前、空気中に突如発生した有害物質のせいで、外へ出るためには、肺フィルターが欠かせなくなった。

携帯端末の中の名誉毀損をたっぷりかぶったネット安心フィルターと対照的に、人工体内用のフィルターは有能だ。
肺フィルターは、空気中の有害物質を確実にガードしてくれるし、喉に取り付けられた喉フィルターは、私たちの体内から出る、醜いしゃがれた声を濾して、美しく純粋な声を届けてくれる。
鼓膜のフィルターは、雑音や不都合な音から聴覚を守ってくれるし、網膜の加工フィルターは、砂塵等のノイズを取り払った綺麗な景色を、見たいと望む世界の姿だけを、見せてくれる。

人類は、倫理や道徳と引き換えに、万能なフィルターを手に入れた。
臭いものに蓋をし、聞きたくない現実だけをシャットアウトする万能瞼を手に入れたのだった。

だから、こうして外の探索や清掃を生業としている、私のような清掃員でなければ、現実を見なくてもよく、また、汚れ切った現状を見る必要もなかったのだった。

いや、私でも、現実を見る必要はなかった。
現に、さっき覗いた端末の罵詈雑言の中に、独身で清掃員をしている、私みたいな男への誹謗中傷は一つも見えなかったのだから。

始業のベルが鳴る。
始業のベルの澄んだ音色は、鼓膜フィルターをすり抜けて、鮮明に脳内に響き渡る。

私は立ち上がる。
自分にとって都合の良い世界で、これからも生きていくために。

9/9/2025, 10:19:37 PM