27(ツナ)

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紅の記憶

俺は物心ついた頃から独りだった。
母親はいたが夜の仕事でほぼ家にはいない、
父親は顔も名前も知らない。

高校を卒業してしばらく経ったある日、
『卒業おめでとう。最低限の面倒は見たから、あとは自由に生きてね。さよなら。』
置き手紙を残して母親は姿を消した。
1人には慣れていたから特に不自由はなく、むしろ気楽だった。
けど、不意に母親の記憶が体の底から湧いて出てくる時がある。

おぞましい記憶だ。
あれは中坊の頃、母親がひどく酔って帰ってきた明け方。
バンッと大きな音を立てて閉められた玄関の音で俺は目が覚めた。
「……おかえり、酔ってん───」
玄関に向かうと母親が勢いよく俺を押し倒した。
俺の顔を鷲掴みにして化粧ポーチから口紅を取り出すと、まるで血液のような紅色のそれを俺の唇に何度も重ねて塗った。
「あはっ、あははは!あははは!綺麗〜。男のくせに、女の私より。あははは!」
俺は恐怖と絶望と混乱で、馬乗りなる母親を思い切り突き飛ばして家を飛び出した。
それから俺は母親を避けるようになった。
居なくなって清々したはずなのに、余計にあの紅の記憶はまとわりついてくる。

嫌な記憶のはずなのに、忘れたい過去のはずなのに俺は囚われ続ける。
あの記憶を思い出す度に、あの日と同じ色の口紅を、自分の唇に塗り重ねる。
あの日、ほんの少しだけ感じた扇情的な気分は、どうしても消し去ることができなかった。

11/22/2025, 11:50:53 AM