『溢れる星』
雲ひとつない、静かで滑らかな闇の夜でした。
月は自らの影のなかに隠れて、私たちのこれからすることにはきっと気付かないことでしょう。
「星を拾いにいくんだよ」
彼は秘密を打ち明けるように、私にそう告げたのでした。
「それは、空にキラキラと光る、あの星のことかい?」
「ああそうさ、それが湖の中にそっくり落ちているだろう。それを拾ってやるのさ」
そうして私たちは、星の綺麗なその夜に、湖にまでやってきたのでした。
果たしてその日の夜の湖は、絹のような闇の中。天と地の、その境もわからぬくらいに、そっくりそのまま天の星を映し取っていました。
「これをどうするんだい?」
湖面を覗き込みながら私がそう問いますと、彼はボロボロの皮の鞄から、星夜にチラチラと光るガラスの瓶を取り出しました。
「この中に捕まえてやるのさ」
そう言って、彼はおもむろに湖の星へと手を伸ばしました。
彼の指先が何かを摘むように湖面に僅かに触れて、微かな波紋が広がりました。そうして彼は小さな小さな光る星を、確かにその指で拾い上げていたのです。
それをガラス瓶の中に落とすと、カランと硬質な音がして、小さなランタンの灯のように燐光を発しながら、ガラス瓶の底に転がりました。湖面に映っていたはずの星は、そのまま見えなくなりました。
そこからは、私も一緒に手の届く限りの星を摘み上げて、ガラス瓶の中へと詰め込みました。
そうして溢れるほどの星を拾い集めて、ガラス瓶が明々と光るようになると、湖に映る星までをかき消してしまうようになりましたので、私たちはその灯りを手に、家へと帰ることにしたのでした。
帰り道に溢れた星をひとつずつ摘んで食べると、口の中でパチパチと弾けて、甘酸っぱく、まるで野いちごのように香ったのでした。
それからその湖は、星の映らぬ不思議の水として語られるようになったのだそうです。
3/15/2023, 2:30:45 PM