「物憂げな空だね」
彼女はそう言って、いつものように花が開くみたいに笑った。
けれど、なにかがほんのわずかに、違った気がした。
それが何かは、分からない。
僕はその違和感を拾い上げかけて、やめた。
「そうだね。雨、降りそうだ」
踏み込むほどのことじゃない。
きっと気のせいだ。
そう思ったとき、彼女はもう一度笑う。
今度は、きれいに咲いた。
僕はその笑顔を見て、密かにほっと息を漏らした。
その瞬間、ぽつりと頬に落ちた。
「あ」
次の瞬間、雨脚が急に強くなる。
遠くの景色が白く煙っていく。
「走ろ!」
彼女は先に駆け出す。
水たまりを蹴って、髪を濡らして、振り返る。
「ほら、早く!」
その笑顔は、本当に楽しそうだった。
僕は息を切らし、彼女を追う。
喫茶店のドアベルが鳴る。
冷房の風が、濡れた袖に冷たい。
「雨宿りね」
そう言いながら、彼女はメニューを開いた。
「……これにする」
運ばれてきたのは、やけに背の高いいちごパフェだった。
雨宿りのつもりにしては、本気すぎる。
僕はコーヒーにミルクを落とす。
白がゆっくり広がって、やがて消える。
「おいし〜!」
足をばたつかせ、頬を押さえて、大げさなくらい目を輝かせる。
彼女はいつも、全力で喜ぶ人だ。
その明るさに、店内の曇りガラスまで少し晴れた気がする。
僕はコーヒーを口に運びながら、そんな彼女をただ眺めた。
なんだか、こんなことが前にもあった気がする。
初めてのはずなのに。
少しだけ、視界が霞む。
一瞬、スプーンを持つ彼女の指先がひどく遠く見えた。
冷房のせいか、湿気のせいか。
雨はやがて止み、僕らは店を出た。
別れ際、彼女は最後まで笑っていた。
目が覚める。
雨音はしていない。
窓の外は、からりと晴れている。
あの日、彼女が笑っていたことだけが、やけに鮮明だ。
物憂げな空
2/26/2026, 10:41:57 AM